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地域づくり支援専門員の吉田です。
今回は、川添地区で地域で集う場として7月から利用が可能となった「葉山会館」についてお伝えします。
震災前は、公民館の分館の1つとして「川添葉山会館」があったのですが、震災後老朽化で解体。隣にあった町の消防屯所を、2つの行政区(川添南・川添北)が払い下げを受け、地域の方でリフォームなど整備され、地域の集まる場として「葉山会館」が生まれ変わりました。
【住所:浪江町大字川添字中上ノ原278】
川添北大和田区長と川添南安部区長で、住民が使用したい時の為に鍵の管理をしています。
今回は、川添南行政区の安部区長に施設や周辺について案内して頂きました。
元消防屯所だった倉庫にも、懐かしい写真が幾つか飾ってあり見せて頂きました。
安部区長に視察をさせて頂いた後、お囃子の練習で集まる場として使う機会があるとのこで、後日また葉山会館に伺いました。
この日は、8/20に初めて実施される なみえ創成小中学校を会場としての『盆踊りまつり』に向けて、お囃子を担当する川添芸能保存会のメンバーが、誰でも参加できる場として太鼓や笛の練習をおこなっていました。
親世代から、子ども世代へ教えている姿は、なんとも微笑ましい様子でした。
視察の時は、葉山会館西側にある溜め池や桜並木について、
「自分の子どもの頃は、この池で水遊びをして育ったんだ。春には、池の周りに沢山桜が咲くから、震災前は、地域でお花見会をやったりした。秋には、みんなで芋煮会みたいなことをできたらいいな。」と、思い出話なども話して下さりました。
安部区長が仰るように、水面に桜並木が映る中で、お花見ができたらとても素敵だなと思いました。
来年の春は、葉山会館の周りにお花見で集う人たちの様子をお伝えできればと思います。
地域づくり支援専門員の吉田です。
【国玉神社 再建と盆踊り①~遷宮祭(落成式)編~】に引き続き、
「国玉神社」についてお伝えします。
お盆の中日にあたる8月14日、(前日まで天候が心配だった中)見事な晴天に恵まれ、
震災後初めて、12年ぶりに国玉神社で盆踊りが開催されました。
今回は、避難している方など遠方でも来やすいようにと、初めての日中開催となりました。
踊り流しの前に、神事(祝詞・神楽)の奉納が、宮司・再建委員会の方を中心に執り行われました。
神楽の奉納の後は、いよいよ盆踊りのスタートです。
踊りの音頭となるお囃子は、『川添芸能保存会』がこの日の為に練習されて来ました。
会場から、一人また一人と少しずつ踊り子が増えていきます。
また、場内ではあちこちで、「ひさしぶり」「子どもは大きくなったな~」と、再会を喜ぶ声が聞こえてきました。
そして、中盤には櫓の上で『芸能保存会』のOBも参加し、お囃子も世代を超えての交流がされていました。
踊り流しも終盤となり、川添芸能保存会の代表石澤さんから
「最後は会場にいる皆さん、全員で踊りましょう!」との呼び掛けがあり、
沢山の参加者による踊りで境内が賑やかになりました。
残暑の厳しい日となりましたが、国玉神社が震災以来初めての賑やかな場となりました。
最後は、櫓を揺らすダイナミックなお囃子と挨拶で無事に終わることが出来ました。(※動画にてご覧ください。)
これから1年また1年と、国玉神社の盆踊りも新たな歴史をつくっていくことでしょう。
それでは来年(2023年8月14日)も、皆さんとまたここ国玉神社でお会いしましょう!
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
浪江町の帰還困難区域でも来春、5年近くに渡って整備が進められている特定復興再生拠点3カ所(室原、末森、津島)で避難指示が解除されます。住民の帰還に向け9月1日からは準備宿泊も始まっていますが、避難先で暮らしが固まったことなどで、寝泊まりしながら帰還の準備を進める方はまだ数えるほどしかいない状況です。
津島地区でも避難指示が解除されるエリアは全体の面積の1.6パーセント程度で、まだまだ手つかずの地域がほとんどというのが現状です。
「集会所の様子を一度見に行くか」ということで南津島下行政区の三瓶禎信区長にお声がけいただき、南下コミュニティセンター*を視察してきました。
(*南下-みなみしも-は南津島下の略称)
特定復興再生拠点のエリア外に位置しますが、山火事など災害時の避難場所等として集会所も来春には避難指示が解除されます。いわゆる「点拠点」と呼ばれる、部分的な避難解除です。そのため既に一通りの除染は済んでいるということでした。
南津島下行政区では長らく沢先(澤先)集会所が利用されていましたが、老朽化し、平成21年に新たな集会所として南下コミュニティセンターが完成しました。10年以上の年月が経っていますが、ほとんど利用されないままだったことで、まだまだ新しいというのが第一印象です。
しかし一歩室内に入ってみると、避難所として活用された状態で時が止まった、原発事故後の手つかずのままの状態でした。
当時持ち込まれた新聞や、使用したお皿や調味料などはそのままになっていました。
ホワイトボードに書かれた呼びかけ文からも、切実な様子がイメージできます。
「特定復興再生拠点の解除にともない、この集会所が点拠点として避難指示解除されるのであれば、何か集まりなどで交流したい」前区長の時からたびたび、ご相談を受けていました。
まずは井戸の復旧や、大掛かりな掃除などが必須のようです。
原発事故前に地域活動が行われていた際は、反省会と名売って交流会を毎回開いていたそうで「まずは集まれるようになりたいな」などと三瓶区長は話していました。
沢先集会所もこの秋には解体される予定だということです。
避難しながらも生まれ育って親しんだ土地で、ほっとしながら集まる場をどうつくれるか。区長といっしょに今後も考えていきたいと思います。
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
暑い夏が終わりようやく9月に入りました。皆さん、9月1日は何の日か覚えていますか?
ニュースでも多くとりあげられていましたが、防災グッズの中身を確認した!という方も多いのではないでしょうか。
9月1日、防災の日です。
幾世橋住宅団地のらいふく自治会では、9月3日に防災をテーマにした交流会が開催されました。
防災の日近くの週末に開催しようと、自治会役員の皆さんで2ヶ月前から計画を進めてきました。
今回はその様子をお伝えします。
会場は、幾世橋小学校跡地に完成した『幾世橋防災コミュニティセンター』です。
自治会長あいさつの後、町防災安全係よりハザードマップの説明やテーブルごとにグループワークを実施。
グループワークでは、警報レベルに合わせ自分自身はどんな行動をとるか、何を持参するか等、意見を出し合います。
「近隣の高齢者に、いざという時の移動はどうするかを聞いておこうと思います」
「ペットと一緒に行動したいので、早く避難しないといけないかな」
「メガネ、電話、薬、、、あ!マスクも何枚か必要だね」
同じ住宅に居住している皆さんだからこそ、行動や特定場所について話しやすく、より具体的な動きの確認になっているようです。
この防災コミュニティセンターですが、会合などの機会がないとなかなか施設内に入るチャンスがないようで、大半の方が初めて入ったとのことでした。
皆さんで施設内をひと通り見学しながら設備や備品を確認し、「毛布などは備蓄しているの?」「テントは何人まで寝るスペースあるのかしら」など質問が飛び交いました。
最後は皆さんでお弁当を食べ交流タイムです。
黙食ではありますが、皆さんで一緒にお弁当を囲むのは、2020年の自治会発足後初めてのことでした。
ご近所の皆さん同士で顔を見ながら食事をすることで、つながりがゆるやかに育まれ、いざという時の共助に大いに役に立つのではと感じた自治会活動でした。
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
8月下旬、福島市の県青少年会館を会場に、東北学院大学文学部歴史学科の学生が南津島の田植踊りを学ぼうと取り組みました。詳しくお伝えします。
「南津島民俗調査プロジェクト」と題された今回の取り組みは、宮城県にある東北学院大の学生が4日間のスケジュールで南津島郷土芸術保存会の皆さんと交流し、田植踊りを学ぶといったもので、取材にうかがった最終日の8月28日は17名の学生が熱心に田植踊りを学んでいました。
きっかけは学生のひとり、今野実永(みのぶ)さんの提案でした。実永さんは原発事故で避難する小学2年生まで南津島で暮らしていました。田植踊りの経験はありませんでしたが、中学3年生の時に二本松市で南津島の田植踊りを記録撮影する機会があり、その時初めて「ささら役」を務めました。
その時の会場には地元の皆さんが集まりました。田植踊りを数年ぶりに観た祖父母の世代の方などから、泣きながら「ありがとう」と話しかけてもらった実永さんはとても感激し、高校に入ると「どうやったら民俗芸能を継承していけるだろう」と考えたそうです。
原発事故が起きた当時、関東の大学で教壇に立っていた金子祥之先生も「都会に出た学生が都会で就職してしまう。民俗学を教えるものとして、地域に根付く何かができないものか」と考えていた一人です。ちょうど東北学院大学で教職を募集していることを知り「ここなら東北に根付く取り組みができるかもしれない」と同校の准教授となりました。
「民俗学を学びたい」と強く思うようになった実永さんは、東北学院大学で学べることを知り受験。金子先生に「南津島の郷土芸能を何とかしたい」と訴えました。
取材したこの日は、保存会の三瓶専次郎会長ら10名が会場に足を運び、学生の間に入るなどして熱心に指導しました。学生も事前に唄の歌詞を覚えるなど準備に取り組んでいました。会員の方に感想を聞くと「さすが若い。覚えるのが早い!」などとおっしゃっていました。
来春に解除が予定されている津島の特定復興再生拠点では、9月1日に準備宿泊が始まるなど少しずつ動きが出始めているものの、解除される面積は津島全体の1.6パーセントです。南津島上・南津島下の行政区でも拠点外となるエリアが多く、まだまだ先が見えない状況と言えます。
4日間のスケジュールを終えた実永さんは「授業からサークルの立ち上げなども含め、南津島の田植踊りに継続的に取り組んでいけるような土台づくりを在学中にしたい」「卒業後も関わりながら確立させたい。最終的には50年後に南津島に住んでいる人が田植踊りを継承したいとなれば、大学から南津島へと田植踊りを戻すような、そんな形の継承をしたい」など、力強い言葉で自身の考えを話しました。
まだ大学2年生なのに、数十年後の将来まで見据えたその想いには圧倒されます。
民俗芸能はその地に根差したものであるため、金子先生ら大学側では「宮城県の大学で学んで継承していこうとするのは、いかがなものだろう」という考えがあったそうです。保存会でも悩んだそうですが「一度、チャレンジしてみよう」となり、この日につながりました。
1回20分以上ある南津島の田植踊りに、この日の午後は3回取り組みました。最後にはだいぶ形になっていたと思います。保存会の皆さんも額に汗しながら、学生たちを眺めるその表情はとても嬉しそうでした。
三瓶専次郎会長は「着物(衣装)を着て踊ってみたり、引き続き指導できるようにしたい」などと話していました。実永さんも「いずれは津島の皆さんの前で披露できるようになれば」と目標を掲げています。
継承に難しさを抱える中、新たな切り口の取り組みとしてコミュニティの維持にもつながっていくかもしれません。今後も注目していきたいです。
南津島の郷土芸能の様子はこちら
2019年12月2日掲載 南津島の神楽(令和元年十日市祭)
2019年2月16日掲載 南津島の田植踊りが披露されました