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こんにちは、地域づくり支援専門員今野です。
浪江町の帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点(以下、復興拠点)3地区はいよいよ来春に避難指示が解除される予定となっています。
復興拠点では解除に向け、9月1日から「準備宿泊」が開始され、希望する方は自宅に寝泊まりができるようになります。
準備宿泊まであと半月を過ぎた8月の中旬、津島地区の津島行政区内を、今年度から行政区長を務めている氏家髙志区長にご案内いただき集会所を中心に視察しました。
津島行政区の集会所は既に除染も済んでおり、復興拠点内に位置しています。
津島地区内で一番住民が多い津島行政区は130戸の世帯があり、そのためでしょうか、室内はかなりの広さがありました。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故直後は、町から津島地区に町民の皆さんが避難をしてきました。小学校や中学校も避難者であふれる中、各行政区の集会所が避難所として活用されました。
区長の話によると「トイレもあって暖房も機能していたし、避難してきた人は快適に過ごせたと思う」とのことでした。住民の方で炊き出しなど対応したそうです。
「3日ぐらい避難所として開放したと思う」とのことで、配達できなかった新聞でしょうか、まとまった部数が3月14日付けの紙面まで置いてありました。
震災前、集会所の敷地はゲートボールの練習場として、また夏には盆踊り会場として活用されたそうです。
倉庫には他所から譲りうけたものも含めて盆踊りの櫓(やぐら)が3つ、収納してありました。
お墓も近く、お墓参りの時には駐車場として停める方も多かったそうで、区長は「除染が済んだ集会所を、トイレやエアコンなどを修繕・整備して、お墓参りの時に休めるようにできれば」などとおっしゃっていました。
「散り散りに避難して、再開が難しい」とおっしゃる田植踊りや三匹獅子などの衣装、道具も保管されていました。震災前は行政区内の津島稲荷神社でお祭りがあり、その際に踊りを奉納していたそうです。
その津島稲荷神社を訪ねてみました。
砂利も敷かれ、側溝が整備され、法(のり)面も芝が植栽されたりなど綺麗になっており、今後、神社自体の再建も進めば良いなと感じました。
津島行政区では復興拠点に入っているエリアと入っていないエリアがあります。復興拠点の面積は津島全体の1.6パーセントと、来春解除されるのはごくわずかのエリアで、また、解体が済んだ家も多いことなど、帰還される方がどのぐらいいるのかも分からない状況です。
「もっと早く除染を進めてもらえれば、帰ることも考えられたのに」とおっしゃる方がほとんどで、全くその通りだと思いますが、一方で何か少しずつ変化も出てくるのではと思っています。
引き続きブログでも、復興拠点や帰還困難区域の状況を発信していければと思います。
地域づくり支援専門員の吉田です。
今回から2回に続けて「国玉神社」についてお伝えします。
国道114号沿いにあり、多くの方がご存知の「国玉神社」は、平将門を祭神として祀り、長年にわたって川添地区の住民に愛され続けている神社です。
東日本大震災で倒壊した後、住民である氏子の方を中心に、2016年から話し合い、2019年には「再建委員会」が立ち上がり、昨年2021年から建設が進んでいました。
神社再建には、100人を超える方からの寄付、川添行政区の浄財が活用され、今年5月に完成し、震災前例大祭が行われていた7月17日、この日は、氏子など住民約60人近くが各地から集まり、遷宮祭が執り行われました。
▲2022年5月に完成した國玉神社
遷宮祭とは、神体を遷(うつ)し奉る祭儀をいう。神殿の改築・修理にあたって、一時仮殿(かりどの)へ神体を遷すこと、また、竣工(しゅんこう)となった神殿へ仮殿から神体を移座する祭儀。
再建委員会委員長で川添北行政区の大和田区長宅から、宮司や氏子の皆さんが国玉神社へ行列になり向います。
▲社殿へ到着し、井瀬信彦宮司によって祝詞の奉納など神事が行われました。▼
▲川添芸能保存会から奉納の挨拶
神事の後は、川添地区で伝統芸能となっている「川添芸能保存会」の神楽が、震災後初めて社殿へ奉納されました。
川添神楽は明治40年頃から始まったと言われており、「幕舞」「幣束舞」「鈴舞」「乱獅子舞」の4つの舞を踊ります。
▲ この地ならではの「乱獅子舞」は「川添繁栄、大繁栄」と掛け声を響かせ盛大に舞います。
神楽の奉納の後は、宮司・氏子総代・再建委員代表から挨拶がありました。
境内の中には、震災や避難地域になったことを記した再建記念碑も設置されています。
浪江町に訪れた際は、是非ご覧になってみて下さい。
川添地区の拠り所として、これからも歴史を刻まれていく国玉神社について、またお伝えしたいと思います。
こんにちは、地域づくり支援専門員の吉田です。
今回は、「苅野防災コミュニティセンター」についてお伝えします。
場所は、旧苅野小学校敷地内(浪江町大字苅宿字鹿畑16番地)にあります。
4月には浪江防災コミュニティセンターで合同の竣工式があり、
その後の一般の方向け内覧会は、苅野地区の区長さん、近隣住民の方などが見学に来られていました。
防災コミュニティセンター建物西側と、駐車場の南側には、「浪江町育苗施設」の建設が始まっています。
処理能力が「水稲」が300ha(育苗箱で60,000 枚まで対応)、「たまねぎ 」が15ha (育苗箱で7,950 枚まで対応) 、
消費者・実需者の多様かつ高度なニーズに応え得る生産体制が計画されているようです。
「お盆・お彼岸時期に大堀・苅野防災コミュニティセンターのトイレを利用できます。」
↑(詳細はリンクへアクセス)
お盆とお彼岸時期(9月20日~9月26日の土日祝日を含む)には、町で大堀と苅野の防災コミュニティセンターのトイレを開放されていますので、どうぞご活用されてみて下さい。
浪江町内の防災についてまたブログでもお伝えしたいと思います。
行く夏を惜しむように、ひぐらしの声が聞かれる頃となりました。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
地域づくり支援専門員の吉田です。
今回は、西台地域資源保全会による、6月25日の花植えについてお伝えします。
この花壇は旧マイプラザ(ホームセンター)の北側に位置しており、震災前までマイプラザに来るお客さんの目を楽しませてくれた場所でもあります。震災以降は荒れ放題になっていましたが、2019年度から花植え活動が再開しました。
この日はとても暑い日でしたが、西台行政区の住民さんなど町内外から15名の参加がありました。
始まる前に 西台行政区大倉区長から挨拶と保全会から花植えの手順の説明がありました。
花植えの後は、恒例となっている交流の場として休憩所が設けられました。
コロナの感染防止や熱中症対策もあり、短い時間でしたが、
「今年はじゃがいもは沢山できるんだけど、里芋はなかなか育たないな」など作られている作物の話や近況の話題などで話にも花が咲いていました。
2019年度から始められたこの取り組みも地域の皆さんで景観が整備され、地域が綺麗になりました。
暑い中準備からの作業、皆さんお疲れ様でした。
浪江町内でもいろんな環境美化活動が行われているので、またブログでもご紹介できたらと思います。
地域づくり支援専門員の吉田です。
今回は、浪江町タマネギ生産組合皆さんによる玉ねぎの出荷準備作業をお伝えします。
この日は、松本善郎組合長と組合員の方々、東京農業大学 高畑教授・大学生5名の参加がありました。
東京農業大学の皆さんは、玉ねぎの栽培に種まきから参加されていました。
この日は荒天が続いている中でしたが、育った玉ねぎの収穫をしたいと、予定通り浪江へ来てくださりました。
浪江町に関わってくださる大学生にインタビューをさせていただきました。
~浪江に来てみての感想はいかがですか?~
・来る度に道路や建物などが出来ていたり、道の駅などでイベントなどが行われて復興している部分と、まだ震災後のままの戻ってない部分がある。
・浪江でお会いした方は、パワフルな方が多くとても活動が盛んだと思った。
・地元でない私たちにも、みんなとても親切で温かい。
~来てみて浪江にあったらいいなと思うものは何がありましたか?~
・学生だと、車を持っていない場合が多いので、滞在中移動するのに、レンタルの自転車があればもっと過ごしやすい。
▲玉ねぎを出荷できるように、葉切り→皮剝き→磨きます。▼
組合員の方に、収穫された新玉ねぎの美味しいおすすめの食べ方も聞いてみました!
スライスして生で食べてもとても甘く、また切り目を入れて(レンジなどで)加熱して、かつお節や醤油を掛けるだけのシンプルでもとても美味しく食べられるとのこと。
▲綺麗になった玉ねぎを袋詰めしていきます。
▲出荷前の「浜の輝」
この日袋詰めされた玉ねぎは、町内では道の駅なみえやイオン浪江店へ出荷されるそうです。
浪江町で名産となっている「浜の輝」みなさんも是非ご賞味ください。
今回もお忙しい中、取材のご協力ありがとうございました。
町内での農業についても、またブログでご紹介したいと思います。