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地域づくり支援専門員の今野です。
11月21日、苅宿行政区では恒例となった苅宿環境保全会主催による花植えがこの秋もおこなわれました。
雨の心配もなく秋晴れの中、新型コロナウイルスが少し落ち着いているおかげもあってか、今回は30人以上の地域の皆さんが集まりました。
避難先などから駆け付けた方も多くいらっしゃいましたが、この日は小さなお子さんや親・子・孫の3世代でご参加されているご家族の姿もあり、昨年以上に賑やかで楽しそうな雰囲気を感じました。
小さな子ども達も、花を取って空になったポットを走り回って集めるなどし、元気にお手伝いをしていました。
「白い花余ってるの、こっちに植えっとー」「先に穴掘ってー」など、作業の指示とともに終始マスクを通した話し声が聞こえる花植えとなりました。
パンジーやビオラなど、赤・白・黄・青・・・鮮やかな花を綺麗に植えていきました。昨年までと同じ2400株ほどを、1時間強で植え切りました。
30人以上の手にかかれば作業も1時間とあっという間ではありますが、見事な花壇が今年も誕生しました。
5年ほど前からちょっとした名所となっているとは思いますが、お近くを通る際は車を停めるなどし、綺麗な花々をぜひご覧いただければと思います。
よそ見運転はしないよう、くれぐれもご注意ください。
作業終了後、生産組合”苅宿ふれあいファーム”の会員の方から「田植えと稲刈りに来てくれたから」ということで今年の新米をいただきました!
精米し早速いただいてみましたが、お世辞抜きに粒が立ってツヤツヤで、とてもおいしいコシヒカリでした。
人手など、様々な課題を抱えている地域の営農でご苦労も多いと思いますが、来年のコメづくりもまた楽しみになってきました。
昨年の様子はこちら→「苅宿環境保全会による花植え活動」
今年の苅宿の田植えの様子はこちら→ 今年の田植え<苅宿編>
今年の稲刈りの様子はこちら→ 稲刈りの季節です
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
11月秋晴れの週末、道の駅なみえにて第1回の農産物品評会が行われました。
野菜の部・果物の部・花卉の部・おもしろ野菜の部があり、浪江の農家の皆さんが育てた
表情豊かな農産物38点が並びました。
今や浪江を代表する玉ねぎ『浜の輝』や、スッときれいなネギなど。産直の主役が揃います。
負けじと、おもしろ野菜たちが場を盛り上げます。
そして、こんな人参も発見。名前が「ナイスキャッチ」とはナイスネーミング!
前日に、大谷翔平選手がMVPを獲得したニュースが流れました。
この人参を眺めていたお客様は「大谷選手おめでとう!と書いてもいいね~」と笑っていました。
表彰式では出品した農家の皆さんも揃いました。
時々産直をのぞくと、地元の生産者の方の名前が増えてきた気がします。この方も出しているんだ、この野菜もつくっているんだと、嬉しくなりますね。
10月末から出荷し始めた方もいて、品評会でも受賞しています。
また、毎朝自転車で野菜を出荷している生産者の姿も見ます。雨の日はカッパを着て自転車をこぎ、ほぼ毎日いろんな種類の野菜を納品し、産直売り場に彩りを加えています。
そして、まだ町内で農業再開が叶わない状況の中でも、毎日トラクターで土地を耕している方、避難先で農業再開し浪江町に出荷している農家の方もいます。
このような生産者の皆さんが、道の駅だけではなく町全体の土台をつくり、盛り上げているように感じます。
会ってお話すると、こちらが元気になる理由がわかりますね。
「今日は○○さんの白菜で鍋にしよう!」
食卓で生産者の名前がでる、こんな会話が広がるといいなと思っています。
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
西台行政区では11月の恒例行事となった、クリーン作戦が今年も実施されました。
町から払い下げを受け、消防屯所を集会所として活用していく西台では梅松悟副区長いわく「集会所としては初めて今回活用する」とのことで、クリーン作戦前の打合せも室内でおこなわれました。
打合せでは限られた人数で4ルートに分かれ、手分けして地域内のゴミを拾っていくことになりました。
ゴミ拾いと同時に、行政区で手入れしている花壇もシーズンが終わったということで、片付けをしました。
小一時間ほどゴミを拾ったら再集合。ゴミの分別をして終了です。
終了後、今年は警察署の方による交通安全と防犯についての呼びかけ、役場の防災安全係より洪水ハザードマップの説明と来春に出来る防災コミュニティセンターについてのお話しなどが、室内でおこなわれました。
既に電気・水道も自由に使えることから、ポットを使い、温かいお茶もふるまわれました。
「網戸も直して綺麗になったから」「お茶飲みしたいから使いたい、という時は言ってね」と区長・副区長から皆さんに伝えられました。屯所が本格的に、西台行政区の集会所に生まれ変わったという感じを受けました。
2021年11月現在、新型コロナウイルスの感染状況はだいぶ落ち着きつつあります。まだまだ予断は許されませんが、近い将来、西台の集会所が活発に利用され、地域の皆さんがつながっていく場になってくれそうです。
昨年のクリーン作戦の様子はこちら→「西台でクリーン作戦と消防署の講話」
西台の花植え活動についてはこちら→ 「今年も花植え活動、西台」
お墓参り時の休憩所設置についてはこちら→ 「4年目のお墓参り休憩所、西台」
地域づくり支援専門員の引地です。
皆さん、福島県内に伝わる伝統芸能、特に請戸の田植踊をご覧になったことはありますか?
浪江町にもいくつかの田植踊がありますが、県内に伝わる田植踊の多くは浜通り北部に集中していたようです。
今回、幾世橋地区に位置するなみえ創成小学校から、隣の地区に位置する請戸(うけど)の伝統芸能・田植踊を学びたいと依頼があり、請戸芸能保存会会長 佐々木繁子さんの特別授業が開催されました。
受講するのは小学4年生の3名です。授業の様子と内容を少しだけお伝えします。
始めに踊りの映像を見てから、請戸の田植踊についてお話がスタートしました。
請戸の田植踊は請戸の海の守り神、苕野(くさの)神社へ奉納する踊りです。毎年2月の第三日曜の安波祭で奉納されます。
かつて、請戸はヤマセと言って東から吹く浜風は冷たく、作物が実らず人々は困っていたようです。そこで村人たちが神社に集まり田植踊を踊ったところ、その年は豊作となり、その後神社に奉納するようになりました。これが田植踊が始まったきっかけといわれています。
次に、安波祭当日の流れに沿ったスライドを見ていきます。
そして、震災後の田植踊と継承について話がすすみました。
震災後2012年の2月より、仮設住宅で踊りを披露するようになりました。安波祭では村まわりで各家々をまわっていたように、仮設住宅をまわり「みんなを元気づけよう」「家族と離れて暮らしているみんなに笑顔になってもらいたい」そんな想いで踊り、安波祭の日に合わせ6年間も続けたそうです。
『なんとしても田植踊を残したい』そんな想いをお話いただきました。
請戸は災害危険区域となり住むことができない地区となりました。
今までは請戸小学校の児童が踊っていましたが、今後の請戸小の児童はいません。現在は大人になった元請戸小学校のみんなが中心に踊っていますが、成長とともに踊り手も減少してしまいます。
踊りをどうやってつなげていけばいいか相当悩み、“昔は青年部が踊っていた時代もあった、時代に合わせ踊り手も変わってもいい”“年齢や請戸出身にこだわらなくてもいい”と考えるようになったそうです。
地域の大切な踊りなので、請戸の先輩方にも相談し背中を押してもらったそうです。
授業の最後は踊りの体験です。
踊りで使う四つ竹を持ち、唄に合わせ少しだけ踊りを体験しました。
花笠もとっても似合っていて「もっと踊ってみたい」と感想をもらい、約2時間の授業はあっという間に終了しました。
伝統芸能というと少し敷居が高く感じるかもしれませんが、体験をしたり、その踊りの歴史や地域の背景を知ると身近に感じますね。
また、私は日々町民の皆さんと接する中で、地域の踊りや祭りをとても生き生きとお話する方が多いなと感じていました。
今回の授業で『地域への愛着』『人々のつながり』『伝統芸能』はとても深くつながっているのだなと自分自身も学びを深めることができました。
これからも次の世代へ伝えていく機会が広がっていくといいなと思っています。
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
10月24日、福島県では初の震災遺構となる浪江町立請戸小学校が開館し、記念式典が開かれました。
請戸小学校は東日本大震災の津波に襲われ、校舎2階まで浸水しましたが、校内にいた児童と教員らは速やかに高台に避難したことで、犠牲者は出ませんでした。
しかし請戸地区では154人が津波の犠牲となりました。また、災害危険区域に指定されたため、人が住めない地域となっています。
式典では吉田数博浪江町長が挨拶し「震災の記憶を後世に伝えたい。地域の方々の心の拠り所であり、来館者が災害への備えをあらためて意識する施設となってほしい」などと述べました。
新たに建築された管理棟には展示コーナーが設けられ、請戸地区の歴史や震災の状況などがパネルで展示されています。
校舎は1階部分は津波被災の爪痕を出来る限り当時のままの状態で保存しており、2階は4~6年生の教室に震災関連資料を展示。時系列に紹介した震災直後の動きや、請戸地区の震災前の模型、請戸の方々へのインタビュー映像などが紹介されています。
式典では請戸芸能保存会による地域の伝統芸能「田植踊(たうえおどり)」も披露されました。
請戸は災害危険区域に指定され、住民は帰還ができず散り散りの避難生活を送らざるをえない状況ですが、保存会のメンバーは集まって練習するなど苦労を重ね、これまで絶やすことなく踊りを継承してきました。
当時請戸小学校の6年生で、これまでもずっと田植踊の担い手として尽力してきた中の一人、横山和佳奈さんが卒業生を代表し最後に挨拶しました。
「6年間、数えきれないほどの思い出があった。請戸を大事に思っているのは私だけではない。来館された方には小学校は衝撃的で悲しく観えるかもしれないが、すべてを失った私には、残ってくれたことが嬉しく、明るい気持ちになる。請戸の地域の方の顔を思い出せる場だ。請戸の人々がもう一度集まるような場所になってほしいと思う」などと小学校と地域に込めた思いを述べました。
来館された町民の方に感想を聞くと「凄まじいとしか言いようがない。自分が住んでいた場所には津波が来なくて知ったのは大地震の翌日だった。自分が避難することで当時は精一杯だった」「ここに来てあの当時を思い出すと、涙が出てくるね」などと話してくれました。当時の在校生の中には、今回の公開で避難後初めて校舎内に入った方もいたとのことで、校内を見終え、涙を浮かべる姿もあったそうです。
式典に出席した請戸南行政区の竹村英男区長は「被災直後の痛々しい状態から、少し整理され綺麗になっていると思うが、震災を伝えるために必要な施設」と見学後に感想を話し「請戸のみんなが集まる場になってほしいと思うが、(入館以外に気軽に居れる場所があるわけでもないことから)実際には難しいと思う」などと、気軽に集まる場づくりの難しさを話しました。
震災遺構 浪江町立請戸小学校は午前9時30分から午後4時30分までの開館(※最終入館は午後4時まで)で、休館日は毎週火曜日と年末年始となっています。入館料は一般が300円、高校生が200円、小中学生が100円などとなっています。
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年半が過ぎましたが、当時の状況についてあらためて、請戸小学校で感じていただければと思います。そして今一度、災害への備えを確認してみて下さい。