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こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
いつもは浪江町内の出来事を載せていますが、今回は双葉町の八幡(はちまん)神社をお知らせします。
津波で被災した八幡神社が再建され、8月8日(日)に竣工祭が執り行われました。
浪江町とほぼ境の双葉町中野に位置し、浪江町中浜にも多くの氏子の皆さまがいらっしゃる八幡神社は、浪江町中浜行政区・双葉町浜野行政区の地域の守り神とのことです。
また、再建した八幡神社は、原発事故の影響で立ち入りや再建困難な神社を合同で祭る合祭殿を兼ねるそうです。
8/8(日)台風が接近しあいにくの大雨でしたが、神社の周りには人が集まり、神事の様子を見守ります。
晴れていれば、神社からお隣の伝承館まで神輿担ぎが行われる予定でした。
いよいよ神楽の奉納です。
雨の音に負けない力強い太鼓の音、笛の音色が響き、威勢よく神楽が舞います。
神楽奉納が終わり、浪江町中浜の川口区長はこのように話して下さいました。
「何もなくなったところから神社が再建できたことは本当によかった。この場所があることで、“神社に寄っていこう、誰かに会えるかもしれない”という人もいるだろうし、当時の話もできたり交流の場にもなる。」
また、式典の様子を外から見ていると、「神楽を奉納したり盆踊りをやったりと古くから地域住民の拠り所だった。町民が集い伝統行事が末永く続いていくことを願いたい。」という言葉も聞こえてきました。
式典終了まで大雨は続きましたが、竣工祭中盤には、お参りに来る方や外で見守る方が少しずつ増え、神社を囲むように人々が集まる光景はいいものだなと感じる時間でした。
八幡神社は、国と県が整備している復興祈念公園の敷地内にあるため、地元の方々はもちろん、多くの方々が訪れる場所になることを願っています。
新型コロナウイルス感染症の影響により、気軽に会ったり集まったりすることが難しい状況が続いています。
一般社団法人まちづくりなみえ 町内コミュニティ再生支援事業では、町民のみなさん同士や地域が紙面を通してつながりを維持しながら、浪江町の情報を楽しんでもらえるようにと昨年7月から「なみエール」を発行しています。
8月1日に第六号を発行しました。
広報なみえ8月号の折り込みで町民の皆さんの手元に届くようになっています。
下記リンクからPDFをダウンロードし、なみエールをご覧いただけます。
(上の画像と内容は同じです)
ここをクリック
オモテ面「浪江のあれこれ」…今回は“浪江の盆踊り”についてです。浪江町では各行政区単位で盆踊りが盛んで、震災前まではお盆の期間中およそ30カ所以上でそれぞれに盆踊りが開かれていたようです。町内のあちこちで櫓が組まれ盆踊りが開かれ、地域の皆さんが集まっていたということで、私たちもちょっと驚いています。そんな盆踊りに関する思い出やエピソードなどを町民の皆さんにお聞きしました。
手に取ってお読み頂けましたら幸いです。
“なみエール”次回は来年1月を予定しています。
皆さんからのご感想やご意見、投稿などもお待ちしております。
地域づくり支援専門員 今野です。
6月に開催した「ふるさとの民俗芸能写真展」、最後は津島編をお届けします。
津島には、南津島、上津島、下津島、赤宇木の四つの田植踊りが伝えられています。
五穀豊穣や家内安全を祈る儀式で、三百年ほどの歴史があるとされています。
原発事故にともなう避難の影響で継承が危ぶまれていますが、南津島の田植踊りと赤宇木の田植踊りは記録映像の撮影などをきっかけに復活を果たしています。
今回の写真展、津島地区では「南津島の田植踊り」と「赤宇木の田植踊り」を展示しました。
南津島の田植踊りの様子はこちら→『南津島の田植踊りが披露されました』
赤宇木の田植踊りの様子はこちら→『赤宇木の田植踊り発表会』
以下、「うつくしま電子辞典(福島県教育委員会)」より転載させていただきました。
注)「おどり→踊り、まき→巻き、はでな→派手な、種下ろし→口説き(種下ろし)、まじる→混じる、かかわる→関わる、さいごに→最後に、のこり→残り、のべて→述べて、ちがいが→違いが」と一部表記を変更しています。
踊りには、手ぬぐいをねじって頭に巻き、派手な長襦袢をつけた鍬頭、紋付きに脇差をさした口説き(種下ろし)、 太刀をさし小太鼓を持った太鼓、 少年が絣の着物を着てささらを持つささら、 青年が紋付き着物と帯で女装した早乙女などの役割があり、すべて男性が演じ、 決して女性が混じることはありません。
踊りは鍬頭の口上に始まり、稲作に関わる年間行事が次々と演じられます。最後に鍬頭が一人残り、祝言を述べて終わりとなりますが、四つの集落それぞれに細かな点では違いがあります。
原発事故前の写真も加えました。三瓶宝次さんよりご提供いただいた写真で、平成20年に津島のつしま活性化センターを会場に伝統芸能の発表会が開かれた際のものです。写真は南津島の田植踊りですが、四つの田植踊りがそれぞれ披露されました。
全域が帰還困難区域の津島はもちろんのこと、散り散りに福島県内外に避難し10年以上が過ぎた今、浪江町の民俗芸能の継承には各団体とも大きな問題を抱えていると言えます。原発事故から10年が過ぎ、当時の担い手も10歳の年齢を重ねました。
集まること自体が難しく、もし集まったとしても1回で伝えきれるものでは決してありません。
そもそも、地域の中にある集会所などに集まり、日常生活を送りながら何度か練習を重ねていくことが継承に加えて地域コミュニティの一つの要素だったはずです。
いつ、どのように取り戻していくことができるのか、想像もつきませんが町内の各地域に豊かな民俗芸能が多数あったことなど、今後も丁寧に伝え続けていくお手伝いができればと思っています。
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
6回に分けてお送りしている「ふるさとの民俗芸能写真展」 5回目は、幾世橋地区となります。
幾世橋地区は、初発神社の田村友正宮司より写真をお借りしました。
大切にアルバムに保管されていたなかに、平成13年11月の遷宮祭の写真があり、
地域を練り歩く神輿渡御の様子も展示しました。
標葉郷一番神楽の『初発神社神楽』の奉納。
威勢よく舞う神楽に地域の皆さんも思わず歓声を上げます。子どもも大人も神楽の舞に夢中で、「すごい!」という声が聞こえてきそうです。
浪江町史別巻Ⅱには『1月28日の幾世橋の秋葉神社の祭りには、標葉郷からすべての神楽が集まった。ここでは幾世橋の神楽は最初に奉納したため「郷内一番神楽」ともいわれた。』と記載されています。
東日本大震災で甚大な被害をうけた社殿が、平成31年3月に再建されました。
3月に執り行われた竣工祭にて復活を遂げた、幾世橋の男神楽。
獅子頭に角があることから雄といわれています。
角の長さは12㎝あるそうです。
浪江町史別巻Ⅱによると、「相馬昌胤が幾世橋隠居したおり、標葉郷の総鎮守として金ヶ森に初発神社を造営した。その際に築城した城内には養神殿という神殿を建てた。昌胤はこの両社殿を守護するために江戸の彫り師を伊勢に遣わし、二つの獅子頭を造らせた。その一つがこの幾世橋のもので、男神楽。もう一つは棚塩の貴布禰神社のもので、こちらは女神楽といい、夫婦といわれている」と記載されています。
次のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
6月に開催した「ふるさとの民俗芸能写真展」について、ブログでもその内容をお伝えしています。
6回に分けてお送りする4回目は、大堀地区となります。
小野田行政区の植田勝明区長より、昭和60年前後の写真をお借りしました。
小野田の正月奉納神楽の様子です。
正月の1日2日、神楽が各家庭をまわり、家内安全・無病息災を祈願し奉納されます。
笛を吹き、太鼓を叩き、12名ほどのお行列が地域内を練り歩きます。
お先回りの役の人は、次の家に行き、神楽の到着を待ちます。そして、神楽が到着次第、また次の家へ向かうそうです。
神楽奉納の様子だけではなく、他の役を担う方の役割や全体像が想像できる一枚です。
次に大堀神楽です。
浪江町最大のお祭り十日市。
震災後、二本松に場所を移して開催されていた『復興なみえ町十日市祭』や『なみえ3・11復興のつどい』でも大堀の神楽は披露されており、多くの浪江町民に喜ばれていたと聞いています。
写真は、町の一部避難指示解除後、地域スポーツセンターで開催された十日市祭での披露の様子です。
幕舞、剣舞、鈴舞、幕舞と順に舞います。
力強さを感じる剣舞です。
大堀の神楽は同地区にある愛宕神社を守護神として奉納されています。
次のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。