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こんにちは、地域づくり支援専門員の岸本です。
6月に道の駅なみえのギャラリーで展示した「ふるさとの民俗芸能写真展」では、浪江町の民俗芸能の一部を取り上げました。3回目にご紹介するのは、浪江編です。
写真展で展示した浪江地区の民俗芸能、「川添の神楽」と「樋渡・牛渡の田植踊」について紹介します。
川添の神楽は、明治40年頃、修行を積んだ地元の神楽の名人が町民に披露したのが始まりとされています。正月には、川添にある國玉神社に奉納した後、地区内を20戸ほどまわり、悪魔祓いや豊年万作を祈願してきました。
川添芸能保存会は、原発事故により一時は中断を余儀なくされたものの、2014年にいち早く活動を再開。2015年の正月には、県内にある仮設などをまわり舞を披露し、町民の皆さんに正月の風景を届けました。上記2枚の写真は、川添芸能保存会にご提供いただいたものです。
上記の写真は、菊池和子さんの写真展「福島 芸能の灯消さず」のオープニングイベントで披露された際の写真です。
幕舞、幣束舞、鈴舞、乱獅子の4演目からなる川添の神楽。最大の特徴は、演目ラストを飾る乱獅子ではないでしょうか。幕の中に多いときは10人ほどを迎え入れて、囃子に合わせ勇ましく舞う姿は圧巻です。
続いてご紹介するのは、樋渡・牛渡の田植踊です。
震災前まで、八坂神社の祭礼(7月15日)の前夜に、五穀豊穣や家内安全を祈願し踊られてきました。終戦までは、すべて青年団の男性が継承してきましたが、やがて婦人会などの女性が踊るようになったそうです。
写真は、樋渡・牛渡行政区にある八坂神社の落成式で奉納している様子です。
樋渡・牛渡の田植踊は、早乙女(女)と歳蔵(男)はそれぞれ横1列に並び、民謡「流れ山」につれて舞い込みます。
早乙女は赤の着物に花笠をかぶり、一方、歳蔵は股引きに青の着物、頭に鉢巻を巻きます。衣装のコントラストがまた素敵ですね。
樋渡・牛渡田植踊保存会は、震災と原発事故により中断を余儀なくされましたが、八坂神社の落成式で奉納することが契機となり、2019年に活動を再開。定期的な練習会だけでなく、担い手発掘のために体験会を開催するなど精力的に活動されています。
今年度、新メンバーも増えました。現在は、小学生から80代までの幅広い年代の方が所属しており、今後の活躍に期待です。
次回のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
6月に開催した「ふるさとの民俗芸能写真展」について、ブログでもその内容をお伝えしています。
6回に分けてお送りする2回目は、請戸地区となります。
毎年2月の第3日曜日。苕野神社にて、海上安全・豊漁豊作を祈り、安波祭がおこなわれます。
町の無形民俗文化財に指定されており、約300年前から続く伝統行事です。
近年は2月の第3日曜に行われていますが、かつては2月24日に行われていたようです。
いわき市に住む、西山栄さんより昭和60年代の貴重な写真をお借りできました。
西山さんは昔から安波祭りの写真を撮り続けていたそうです。
苕野神社での奉納の後、踊り手たちはお祝い事があった家や農家、船主、商売をしている家をまわります。
踊りの種類は複数あり、その家によって披露するものが違っていました。
多い年は30件近くも家をまわった年もあったそうです。かつて踊り手は、請戸小学校の4年生から6年生が務めました。
町の一部避難解除後には、津波の爪痕が残る苕野神社にて安波祭が執り行われ、神楽と田植踊が奉納されました。
途中で獅子が観客の皆さんの頭を噛み、周囲から歓声があがります。
獅子頭に頭を噛んでもらうことで、その人の邪気を食べてくれると言われています。
相馬流れ山・田植踊・大漁節・伊勢音頭の順で披露します。
天気が荒れる日が多いと言われている安波祭ですが、この年は珍しく快晴となり、多くの観客の前で田植踊が奉納されました。
次のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
6月12日から28日まで、道の駅なみえのギャラリーを会場に「ふるさとの民俗芸能写真展」を開催しました。
福島県浜通りには古来より多彩な祭りや踊りなど特色を持った郷土芸能があり、これまで継承されてきました。
浪江町でも各地域で脈々と受け継がれてきた民俗芸能が多数あり、震災と原発事故でほとんどの団体が活動中止を余儀なくされてはいますが、その発信と写真を通じて町の皆さんがつながる機会が生まれないかと思い、企画・制作しました。
地域の人々の心の拠り所となっている、浪江町の民俗芸能の一部を展示した内容から紹介します。
6回に分けてお送りする1回目は、苅野編となります。
多数の民俗芸能が伝えられている苅野地区ですが、今回は「立野下の鳥さし」と「加倉の神楽」について展示しました。
鳥さし舞は、祝福の唱えごとや踊りをおこなう門付芸(かどつけげい)の一種です。
立野下の鳥さしは奴(やっこ)と浦壁三左衛門(うらかべさんざえもん/主人)の二人によって演じられるものです。
昭和40年代の前半まで、毎年1月12日に立野全地区の行事である村祈祷(むらきとう)の際におこなわれてきました。
それ以降は昭和60年代までの間に3回程度しか演じられていないため「観たことがあるという世代も、少ないと思うよ」などと写真を提供された下立野芸能保存会の元会長 矢口一男さんは話してくれました。
大変貴重な写真です。
鳥さしは、奴が小鳥を取って差し出すよう命じられ、ようやく一羽取りますが、それも逃げられて主人から勘当されるといった筋のもので、最後には奴と主人が勝負をします。
続いてご紹介する加倉の神楽は、苅宿にある標葉(しねは)神社で震災と原発事故後初めてのお祭りが開かれた際(平成31年4月7日の復興祭)に披露された写真を展示しました。元加倉芸能保存会の阿部仁一さんによると「震災後に神楽をやったのは、この時だけ」ということでした。
写真はその時にまちづくりなみえで撮影したものです。
加倉の神楽は正月の村祈祷と標葉神社などの祭礼でおこなわれてきました。
正月の村祈祷では昭和30年代ごろまで、当時60戸程度の全戸を2,3日かけて巡りました。
近年は元旦または二日に依頼された15~6軒を巡っていましたが、東日本大震災後は休止しています。
会員も散り散りの避難生活となり、練習や担い手の継承が難しいという課題を抱えています。
調べているうちに「加倉」の地名について書かれた文書を見つけました(平成20年発行 浪江町史別巻Ⅱ”浪江町の民俗”)。
文書によりますと、慶長のころ上立野の烏帽子形山から当時の今神山に葉山神を遷しました。その後神楽を奉納するようになって、この山を神楽の森というようになり、さらに神楽山、そして加倉村になったといわれている、とのことです。
各地域ごとの特色がある民俗芸能を、引き続きブログで紹介していきます。
7月に道の駅なみえのギャラリーコーナーで開いた「相馬野馬追写真展」についてお届けしています。
1本目に続く「相馬野馬追写真展を開催しました(その2)」ご覧ください。
2018,2019年は当ブログでも野馬追の様子をお伝えしています。
以下よりご覧いただけます。
<平成30年(2018年)の相馬野馬追>
<令和元年(2019年)の相馬野馬追>
町内の地域行事などをテーマにした道の駅なみえギャラリーコーナーでの写真展、次回は秋ごろ開催を予定しています。
引き続きよろしくお願いいたします。
7月に道の駅なみえのギャラリーコーナーを活用して実施した写真展は、標葉郷野馬追祭開催に合わせた「相馬野馬追写真展」でした。
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故後、8年ぶりに浪江町で再開された平成30年の標葉郷野馬追祭と、その翌年の令和元年の標葉郷野馬追祭を中心に、震災前の貴重な写真なども展示しました。
鑑賞された来館者の皆さんからは感想ノートに「浪江町の伝統に触れることができてうれしく思います、コロナに負けずがんばってください」「祭りにかけている情熱が感じられた」「いつか祭りができることを!」などの感想をお書き頂きました。
展示した内容をブログでもお伝えします。
写真展の内容を2回に分けてお届けします。
「相馬野馬追写真展を開催しました(その2)」へと続きます。
2018,2019年は当ブログでも野馬追の様子をお伝えしています。
以下よりご覧いただけます。
<平成30年(2018年)の相馬野馬追>
<令和元年(2019年)の相馬野馬追>
町内の地域行事などをテーマにした道の駅なみえギャラリーコーナーでの写真展、次回は秋ごろ開催を予定しています。
引き続きよろしくお願いいたします。