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令和2年8月20日に、当法人の従業員より新型コロナウイルス感染者が確認されました。その後、8月21日に当法人従業員の濃厚接触者に対してPCR検査を実施し、8月22日に全員陰性であることが確認されました。
今後、さらなる安全・安心の確認のため、当法人の対応として、従業員のPCR検査を実施するととともに、事務所内の消毒作業を行います。8月21日より、緊急対応以外の従業員は自宅待機としており、検査結果による安全の確認、消毒作業の終了まで、休業させていただきます。
多大なるご迷惑・ご心配をおかけしておりますこと、心よりお詫び申し上げます。
令和2年8月23日
一般社団法人まちづくりなみえ
8月も中旬ですが、いつもより梅雨が長かった分、暑さがより厳しく感じられませんか。地域づくり支援専門員の佐藤です。
学校見学会シリーズ、最後は、大堀小学校です。
先ずは、正門からお邪魔致しました。ステンドグラスや授業で実習体験できた焼き物の窯など、大堀小学校独特の景色に目が奪われます。
さらに、校舎の中へお邪魔致しました。大堀地区だけあって、大堀相馬焼を始め、芸術性の高い品々があちらこちらで拝見出来ました。
そして、校庭へ。大堀小学校と言えば、なんといっても校庭の”かきの木”が思い出深いと伺っています。
大堀小学校を見下ろす天神社は、学問の神様・菅原道真公を祀った神社です。明治6年、小学校開校以来、4,352名の卒業生を見守り続けて頂きました。
学校は、コミュニティの象徴的存在だと思います。卒業生だけでなく、児童のご家族、教職員の皆様方、そして学校周辺地域の方々全てにとって大変大切な存在だったと思います。惜しまれつつ閉校・解体される町内の小中学校に思いを寄せる方々にとって、このブログが、思い出作りに少しでもお役に立てれば幸いです。
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
学校見学会の様子、今回は苅野小学校をお届けします。
7月23日から25日まで開かれていた解体前の学校見学会。苅野小学校の平成22年度末までの卒業生総数はおよそ3,500人ということで、見学会にも様々な世代の方が訪れている印象でした。
震災時に在学中で、今年から浪江町内で働き始めたという女性は
「見学会が開かれたことで、校舎の中でばったり友達に会えたことが嬉しい」
などと話していました。
卒業後に母校内で同級生と会える、声を交わせるというのも、特別な体験なんだなあとあらためて思いました。この貴重な機会に、友人と、家族と…様々な卒業生や地域の人たちが、苅野小学校の思い出を懐かしんでいる様子が見受けられました。
震災時の在校生へ向けた学用品の引き渡しは、これまで町内のいくつかの学校でもおこなわれましたが、苅野小学校ではそういった機会とは別に、平成29年8月に「学校見学会」を実施しています。休業中のこの頃に校長を務めた浪江町出身の阿部裕美先生により実施されました。
阿部先生はそのほか、校舎の様子や管理状況などもわかる苅野小学校だより「広報かりの」も定期的に発行されていました。
その時の様子や、「広報かりの」も展示されていました。
見学会に足を運んだ苅野地区出身の60代のご夫婦は
「現在の校舎になる前の時代に通学した。いま小学校の校舎があるここには旧苅野中学校があった。少し下の東側に、通っていた古い小学校の校舎があった。細かく覚えていない面もあるけど、なんだか懐かしいなぁ」
などと教えてくださいました。
苅野小学校や地域の思い出などを、今回のブログで少しでも感じて頂ければうれしいです。
地域づくり支援専門員の引地です。
前回に続き学校見学会の様子をシリーズでお伝えしています。今回は幾世橋小学校です。
明治6年6月に創立、明治9年に幾世橋小学校と改称され、その後棚塩小学校との合併も経て、平成3年4月に現在地に新校舎が建設。今でも、地域の皆さんのなかで学校の話題になると「俺は前の校舎だった、息子は今の校舎だ」という会話が聞こえます。
古関裕而さんの作曲の校歌は、昭和38年に制定されています。
校舎内を見ていきます。
英語のポスターが各所に貼られており、児童は校舎内を歩きながら「one、two、three、four・・」と声に出し、楽んで英語を身につけたのではと想像しました。
別の教室内に、頭文字に色をつけた重点目標『いつでも なんでも ほんきでチャレンジ』という掲示がありました。この頭文字をとった『い・な・ほ』ルームでしょうか。
校章にも、いなほが描かれています。
そして、正門前の大木。とても存在感があります。
秋になると、見事に染まります。
臨時休業と休校を経て、今回閉校と解体が決定した学校ですが、最後に学校を守ってきた地域の力を紹介したいと思います。
幾世橋小学校は、休校中もきれいな花で彩られていました。
実は、地域有志の皆さんで定期的に花を植え、学校をきれいに保ち続けていたのです。
「町民の皆さんが帰ってきた際に、雑草で荒れている小学校を見たら悲しむだろう」との思いで活動を始めたそうです。
開校中は児童たちが花植えをしていたと思いますが、休校中は先輩方がしっかりと手入れをし美化活動を行っていました。
幾世橋小学校は休校の期間中も、地域の皆さんのつながりの場という大きな役割を果たしていました。
憂うつな梅雨も明け、青空がひときわ爽快に感じられる今日この頃です。地域づくり支援専門員の岸本です。
「なみえの今」では、閉校・解体が決定した町立学校の見学会についてシリーズでお届けしています。今回は浪江中学校です。
浪江中学校は昭和45年に、旧浪江中学校、大堀中学校、苅野中学校を統合し創立され、休校する平成31年までに約10,000人の卒業生を送り出しています。
学校の正面玄関をくぐり、まず目に入ったのは下駄箱に残されていた生徒の上履きらしきシューズ。
震災が起きた日の午前中、学校では3年生の卒業式が執り行われていました。
卒業生は3年間の思い出を振り返りながら、在校生は自分たちがこの校舎で卒業する日を想像しながら、“晴れの日”にこの玄関をあとにしたのではないかと、ひとり思いを巡らせました。
その後、校舎の中へ進み、教室などを見て回りました。
体育祭などで使用されていたものでしょうか。多くの教室には個性溢れる学級旗が飾られており、とても印象的でした。いくつか紹介します。
見学会では、震災当時のまま時間が止まったような学び舎を懐かしそうに見て回る卒業生や地域住民たちの姿がありました。
友人と一緒に見学会に訪れていた、浪江中学校出身の20代女性に話を伺うと、「最後にゆっくりと校舎を見れて良かった」とおっしゃっていました。
皆さんの心の中に、美しい思い出が永く記憶されますように。