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地域づくり支援専門員の引地です。
何か始めたくなる新年度、幾世橋町営住宅で新しいことを始めました!
ズバリ『みんなでラジオ体操』です。
日常的に顔を合わせる機会をつくるため町民さんと考えた結果、まずはお金をかけずに気軽に参加できること、ということで
“毎週火曜・金曜の週二回ラジオ体操の日” がスタートしました。
場所はご近所、なみえ創成小中学校グラウンドです。
グラウンドの使用を先生に相談したところ、すぐに快諾いただきました。
そして、初日から先生方も体操に参加し、町民さんと朝のひとときを過ごしています。
開校から1年が経つなみえ創成小中学校、まさに地域コミュニティの拠点ですね。
8時30分前に皆さん、挨拶し合い声かけ合いながら集まります。
自宅からグラウンドまで5分は歩く町民さんもいますが、「ウォーミングアップ完了!」とやる気満々です。
皆さん集合後は自然と輪になり、ラジカセからの『ラジオ体操だいいちー!』の掛け声で体操がスタートします。
ラジオ体操第2までしっかり体を動かした後は、校舎前の花壇を見ながら町民さん同士のコミュニケーションタイムです。
その様子を鯉のぼり家族が見守っているようです。
「今のところ週二回だから継続できるね、いつもよりも早く目が覚めるのよ」
「ちょくちょく顔を合わせられるのがいいね」
毎回参加している町民さんから、清々しい笑顔で感想をいただきました。
毎週火曜と金曜、みんなで体を動かしおいしい空気を吸い、
ステキな一日が始まる朝です!
☆おまけ:体操初日に備え、支援員全員で予行練習を行いました。通行する車から運転手さんも興味深そうに見ていきます。
各地区で体操の輪が広がるとおもしろいですね。
地域づくり支援専門員の東山です。
うぐいすの鳴き声が響きわたり、春の陽気が心地よい4/20(土)、
樋渡・牛渡行政区でクリーン作戦が行われました。
樋渡・牛渡行政区では、今回が震災後はじめてのクリーン作戦です。
集合時間は避難先からのアクセスを考慮し、午前9時30分。
それでも早い方では8時30分には到着され、奉仕作業に対する熱心な姿勢と
地域特有の文化のようなものを感じました。
集まった方々からは久しぶりの再会に笑顔が広がります。
今回は、再建が進められている八坂神社の隣に建つ公民館に集合した後、
周辺のゴミ拾いを行いました。
土手や農道に散らばったトタンの破片や空き缶、ペットボトルなど
皆さんの手によってどんどんゴミが拾われていきました。
ゴミを拾いながら、
「ここは本当にいい所で犬の散歩をするには最高だった。」、
「この時期は山菜をよくとっていたの。」と、地域を懐かしむ声や、
「震災前は3月の末頃にクリーン作戦をやっていたと思う。8年分のゴミ拾いね!」と、
奉仕作業への意欲を感じる声もありました。
途中、わらび(山菜)を見つけ、思わずゴミではなく山菜取りになったり、
解体が進み変化する街並みを歩いて感じながら、
「ここにあった家のひとは今、〇〇市にいるよ。」など自然と地域の方々の
情報交換が広がります。
そして、集合場所の公民館に戻り、皆さんで分別を行いました。
クリーン作戦の後は、樋渡・牛渡行政区で総会が行われました。
今回のクリーン作戦で8年ぶりの再会をとげられた方もおられました。
今後もこのような気持ちのよい汗を流しつつ、協働作業を通して
地域のつながりを作っていけたらと思います。
クリーン作戦は5/25(土)権現堂地区でも予定しています。
地域づくり支援専門員、今野です。
4月7日の日曜日、苅宿にある標葉(しねは)神社で震災と原発事故後初めてとなるお祭りが開かれました。
震災前は11月に開かれていたお祭りですが、今回は復興への願いを込め建立された祈願碑の除幕式も同時にあり、「復興祭」として開かれました。
境内では数名で談笑しながら記念撮影する姿が見受けられるなどし、町民の方が再会を喜びあっている声も聴こえてきました。
(苅宿、加倉の区長も役を務めるなど、地域の皆さんが協力し合う姿が印象的でした)
今回の復興祭では再興への願いを込めてつくったどぶろくが奉納されました。
このどぶろくづくりも8年ぶりとなりましたが、完成したどぶろくは参加された皆さんに振る舞うため、御神酒殿から氏子の方が大切に運び出しました。
直会(なおらい)では、どぶろくを味わいながら楽しそうに話す町民の皆さんの姿が印象的でした。
(御神酒殿からどぶろくを運び出す氏子の皆さん)
本殿で奉納された浦安(うらやす)の舞は本来は4人で踊るそうですが、これまで担っていた子ども達が世代交代し、今回は広く町内から集った3人の新たな踊り手の子ども達が、昨年末からこれまで4回練習して来た成果を披露しました。
可愛らしい巫女の皆さんの舞いは、このお祭りには欠かせないものでしょう。
近くもう1人増えるということで本来の4人となりますが、次のお披露目は秋の十日市の時になるそうです。
獅子舞も披露されましたが、苅宿地区、加倉地区と、2つの獅子舞を順に披露したのが印象的でした。
標葉神社は、この2つの地域を中心とした地域の皆さんの心の拠り所となっている神社なのだなあと、あらためて感じることができました。
(浦安の舞)
(苅宿地区の獅子舞)
(加倉地区の獅子舞)
氏子総代の長岡新一さんは挨拶で「ようやくここまでこぎ着けた。これからも地域の安全・安心を守る神社であってほしい」などと想いを述べました。
昨夏ごろ、ふらりと立ち寄った際の標葉神社は、震災直前に下げられた絵馬がそのままだったのが印象的で静まり返っていましたが、この日は大勢の皆さんで賑わっていました。
町の方に「今日はだいぶ、人も多いですね」などと話すと「震災前は、もっともっといっぱいだったんだよなぁ~」などと以前の様子を話されました。
しみじみと語られたその言葉に、「まだまだこれから、今日が始まりなんだなあ」と感じました。
地域の皆さんの想いが通じ、いつか以前のようなお祭りの姿を取り戻せればと思います。
こんにちは、地域づくり支援員の石橋です。
3月21日(木)、春のお彼岸に、立野地区のお寺でお墓参り休憩所を設けました。
上・中・下と3つの行政区を持つ立野地区ですが、それぞれの区長の提案と協力をいただき、行政区の垣根を越えてどなたでも立ち寄れる休憩所を開設することが出来ました。
場所は立野下の光明寺です。
当日午前7時過ぎ、テント設営のために休憩所のお寺・光明寺へ行ってみると、前日までにすでにお墓参りを済ませた方も多かったのか、墓前には生花がいっぱいでした。
午前8時の休憩所開始からしばらくはどなたもお見えにならず、もしかすると21日にお墓参りをする方は少ないのかもしれない、と心配していましたが、
午前9時を回ったころから少しずつお参りの方々が姿を見せ始めました。
車のナンバーを見ていると、遠くからお墓参りに来ている方が多いことに気づきます。
やがて光明寺のご住職も来てくださり、お馴染みさん、ご近所さんの会話に花が咲き始めました。
「どうぞ、よろしければ椅子に座ってお茶を飲んでください」
この日の墓参者の多くがすでに立野の我が家を解体した方々でした。
「立ち寄る家がないので、こういう場所を用意してもらえて本当にうれしい」
そう言いながら皆さんの口から語られたのは、うっそうと茂った竹林やフキノトウ、西から吹き付ける強い風と家の裏の防風林、境内のカヤの木そしてこの日も咲いていた庭の白梅。
故郷の美しい景色の記憶を誇らしげに話す方々を、きっとご先祖様たちはすぐ近くから微笑ましい想いで見つめていたのではないでしょうか。
地域づくり支援専門員、今野です。
年が明け神楽や田植え踊りなど、伝統芸能の披露が多い時期に合わせてなのでしょうか、二本松市でも郷土芸能発表会がありました。
2月24日、二本松市民会館で開かれた「第21回にほんまつ伝統芸能祭」
特別出演として浪江町から室原地区の神楽が参加しました。
(出演前にステージ裏で待機する皆さん)
室原の神楽はこれまでも精力的に活動しており、昨年も浪江町内で開かれた十日市祭に出演しています。
しかし、苅野地区でも室原行政区は帰還困難区域のため、もともと住んでいた家には戻れない状況が続いています。
今回の演者の方々も、ステージでのインタビューで今住んでいる場所を答えると、一人一人福島県内のあちこちにお住まいでした。中には福島県外にお住いの方もいらっしゃいました。
この神楽は本来は八龍神社・秋葉神社の遷宮祭のほか、毎年正月の村祈祷で地区の家々をまわり、家内安全や無病息災を祈念して奉納されてきたものです。
披露を終えた芸能保存会の皆さんは「生活もままならない状態だったが、やり続けなければと思いがんばった。みんなが集まるきっかけにもなった」と話していました。
ステージで解説を務めた民俗芸能学会評議員の懸田弘訓さんが「神楽が絆を深め、室原という地域を残すものになった」と賛辞を述べると、客席から拍手が起きました。
地域内で世代交代するはずの神楽ですが、震災前からの担い手は既に40代から50代に達しています。皆さんにお話しを伺った際に「このままずっと、80歳ぐらいまでやるかもしれねぇどなあ」と、さらっと話されましたが、何とも言えないもどかしさを感じました。
しかし「地方の過疎化と高齢化、伝統芸能の継承」はこれから日本全国のあちこちで抱えていく問題で、浪江町の伝統芸能を考えることが実は日本の未来につながるものではないかと思っています。
「室原の神楽は震災後、いち早く復活した。この根性は凄い」と話した懸田さんによると、「浪江町だけでも30組の神楽があるものの、復活したのは4組程度」だということです。
(神楽を終えて、片付け中の皆さん)
行事ごとなど、1年の節目節目で地域に根差していた郷土芸能。
簡単に「復活してほしい」など言えない状況ですが、それでも残し伝えていけるように、私たちも何かお手伝いができないかと感じています。