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地域づくり支援専門員の今野です。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から、7年半が過ぎました。
町内の「つながり」を考えていく上で、ヒントになる一つがその地に根差した古い歴史のある神社やお寺なのでは、と思います。
初詣であるとか、お札をもらいに行ったり、小さなお祭りがおこなわれたりと、そのいずれもが周辺の地域や住民と太く関わりを持つ面がある…と言えます。
浪江町内の神社仏閣を見渡すと、7年半たっても修復が進まず、加えて境内が荒れていたりと、その姿に心を痛めずにはいられません。
地域の氏子の皆さんや神社、お寺の方も、もちろんそのままで良いとは思っておらず、しかし避難指示が解除されるまでは何もできないという状態が続いていました。
そして避難指示が解除されたものの、どのように再建していくかなど意見をまとめていくにも集まるのが難しく、大変な状況が続いていると思います。
しかし、最近少しずつ動きが出てきた場所もあります。先日9月13日には樋渡牛渡地区にある八坂神社で地鎮祭が執り行われました。
3年前には再建準備委員会が立ち上がり、崩れた神社の前で神楽を奉納するなどしてきましたが、社殿を取り壊し更地になった元々の場所で、再建委員会の佐藤安男委員長や鈴木辰行樋渡牛渡行政区長、氏子の方々や工事関係者が出席し、鍬入れなどの儀式をおこないました。
佐藤委員長は「神社が再建すればふるさとの復興の一歩と、新たな歴史になると思う」と期待を込めて挨拶しました。
鈴木区長に想いを伺うと「住民にとって、心をつなぐ拠(よ)り所の神社。帰還するのが難しい事情があっても、町に来た時に眺めるなどして、帰りたいなあと思ってもらえれば」などと話されました。
八坂神社は来年6月に完成し、7月には例大祭も予定しているとのこと。
北幾世橋の初発神社と兼務する田村貴正禰宜(ねぎ)は「住民の皆さんが再建に向けて頑張った」と敬意を表し、また初発神社については「5月から修理が始まった。お参りやお祓いが受けられるよう、神社を直さないことには始まらない」「地域の人々の宝である神社を残さねば」など、再建が始まった両神社へ向け想いを語りました。
修理を進めている初発神社は年内には竣工する予定だそうです。
(修理が進む初発神社/2018年8月撮影)
将来的にはいくつかの神社が再建されていくでしょう。
そしていずれはお祭りや盆踊りも復活し、住民の皆さんの再会の場になるかもしれません。
可能な限り、私たち地域づくり支援員も地域の皆さんの集う場ができるよう、サポートしたく思っています。
地域の再生へ向けては難しさも日々感じています。しかし、住民の方が少しでも「日常を取り戻せた」と思えるような、そんなお手伝いをしていきたいと思います。
地域づくり支援専門員の引地です。
先日、畑川行政区齊藤区長のご案内で、高瀬川渓谷の視察に行ってきました。
(現在は立ち入りが制限されているため、許可をとり立ち入りました)
私は初めて高瀬川渓谷を散策しましたが、川の輝き、音、深緑、そして風。
本当に素晴らしい景観でした。
特に橋から望む景色は時を忘れてしまうようです。
では写真とともにご覧ください!
まず、大柿ダム下から進み、林道~三程川高瀬川の合流地点、かんとうばし。
70mの板橋です。
約90年前に架けられた当時は、木材を積んだトロッコが通行したと言われています。
戸神山登山口
登山道には、全国でも珍しい十二支が祀られています。
復旧作業中のがけ崩れ箇所です。
現状を見ると胸が痛みますが、復旧が完了し綺麗になる日が待ち遠しいです。
葛尾村のほうに進むと、以前観光パンフレットを見て気になっていた噂のピョンピョン石が登場しました。
紅葉の季節はもちろん、四季折々様々な表情を見せてくれる高瀬川渓谷を想像しながら、
この大自然を堪能した数時間でした。
地域づくり支援専門員の東山です。
あっという間にお盆が過ぎましたが、みなさんはどのようにお過ごしになりましたか。
さて、私たちは地域コミュニティの再構築をお手伝いすることを念頭に、日々活動しています。
戸別訪問で町民の方のご意見を伺いながらコミュニティをつくる道を探ったり、行政区の会合などに伺い、地域の課題解決に向けた取組みをサポートできればと活動を進めています。
現在、各行政区の区長さんや町民の皆さんのお話を聴かせていただいていますが
震災後、町民の方々同士が顔を合わせる機会が極端に少なくなっていることもお聴きしております。
このような中、多くの方から
「お墓参りの時期には浪江に来る方が多い」といったお声を聴きました。
私たちは、町民の方々が顔を合わせ、ゆっくり話しができる場を設けられないかと
お盆の期間中(8月13日・14日の2日間)請戸地区にある町営大平山霊園にて、
お墓参りに来られる方々に向けて休憩所を用意し、冷たい飲み物を提供することを計画しました。
沿岸部が一望できる大平山霊園のコミュニティ広場にタープ(日除け)を張りました。
始まる前は、立ち寄って頂けるだろうかという不安もありました。
しかし、両日とも100名程度の方にお立ち寄り頂きました。
休憩して頂きながら、私たちが皆さんの色々なお話しを聴ける場でもありましたが、
今回の取り組みから、かつてご近所だった方々との再会と談笑の場になったり、
おじいちゃん、おばあちゃんからお孫さんに請戸の歴史や風習、津波のお話をされたりするなど
『ふるさとを感じ、ふるさとを伝える場』となったようです。
町内のコミュニティの再生へ向けては課題多いことは確かですが、
「つながる場」をつくっていくことが大切だと改めて実感しました。
私たちは今後もこのような取り組みを続けていきたいと思います。
地域づくり支援専門員の引地です。
毎月第2土曜日・日曜日は『まるしぇの日』
浪江町仮設商店街まち・なみ・まるしぇの特設会場ではアーティストのステージがおこなわれ、野菜販売などの様々なブースも並びます。
8月は夏祭りと同時開催!
私たち地域づくり支援専門員のブースでは、来場する町民の皆さんから
『浪江の○○が好き!』の声を聴かせてもらいたいと
ひまわりの絵を施したボードを、皆さんからのメッセージで埋めていきました。
ひまわりの花の中心を、皆さんの「〇〇が好き!」で貼りこんでいきました。
2日間で80名ほどの皆さんから書き込んでもらい、たくさんのひまわりが元気いっぱいに花を咲かせました!
ブースでメッセージを書いてもらい、また、直接お話しして気付いたことですが、
○○が好きの“○○”がバリエーションに富んでいるなぁと思いました。
例えば、
「浪江の春(桜)と秋が好き」
「請戸の海岸が好き」「高瀬川の景色が好き」
「水がおいしい」「お店」
「浪江の鮭」「梨」
「人柄」「人のやさしさ」などなど…
人・物・コト・場所、様々な魅力がつまっている町だなぁと再発見の2日間でした。
地域づくり支援専門員の今野です。
4回にわたってお届けしました標葉郷の野馬追の様子も、今回で一区切り。8年ぶりとなる浪江町からの出陣ということで、騎馬武者の皆さんの野馬追と浪江町への想いをお届けします。
(2日目の最後を飾った、中央公園での神旗争奪戦)
現在は福島市で避難生活を送っていますが、震災後も休むことなく出ている螺役長の横山秀明さんは、事務局も務めていることから「感無量」と話しました。
そして「浪江町での行列の際、沿道の皆さんに見守ってもらった。再開できたのは町の復興の大きな一歩になると思っている」と町への想いを述べて頂きました。
同じ標葉郷である双葉町、大熊町については「復興は道半ば。皆で支えながら、双葉、大熊の町内でもお行列ができるよう、後押ししないといけないと思っている」などと双葉地方への想いも語って頂きました。
(中央公園への帰り馬行列。来年の街並みは、どう変わっているでしょうか)
続いて、軍者の林富士雄さん。
林さんは町内で新聞販売店を経営されています。林さんは「浪江の街なかを臨む高台に住んでいるが、8年ぶりに自宅から出陣した。馬上から阿武隈山系と西部地区を臨む景色を見ると、昔のことを思い出した」などと話してくださいました。
また、「新聞販売店を昨年の1月に再開し、はじめは9部しか配達がなかったが、今は200部弱までになった。元通りまでは難しいと思うが、徐々に人が戻って来ている。地元のために、お店をやっていきたい」と、復興へ向けた想いを語ってくれました。
侍大将を務めた武内勝芳さんは「野馬追の歴史の中で、これまでも危機的な状況はあったと思うが、皆でつないできた。これからも我々がつないでいく」と、千年続いている歴史に後押しされている想いを語りました。
(侍大将を務めた武内勝芳さん)
野馬追の思い出についてうかがうと「昔は帰り馬で南相馬市原町区の雲雀ヶ原から戻る際、浪江町内が近づいて見えてくる田畑の風景が最高だった。地域の人々を守るために、我々は出陣する。領土や領民、その土地の田畑や住民を守るために出て、帰ってくるんだ」と話してくださいました。
そして、「今はスマホの時代になったが、こういった気持ちをずっと根っこに持ってほしい。若い騎馬武者たちにもちゃんと伝えていきたい」などと話してくれました。
現在はイギリスに留学中の20歳、山本幸輝さんは野馬追に合わせて一時帰国しました。
武具や馬具の手入れを終え、2日間を振り返ると「本祭りと比べれば浪江に集まる人は少ないけど、知り合いが居て声を掛け合う感じで、気持ち的には楽。その分、野馬追に集中することができる」と話しました。
そして「留学していると広い視野を持つことができる」と話し、「例えば農業も、これまでと違うやり方で試したりできるのではないか。そんな風に浪江町は世界の問題を解決する場になる可能性がある」など考えを述べ、「いつかは帰ってきたい」と話してくださいました。
8年ぶりの開催に、町の皆さんの様々な想いがこもった標葉郷の相馬野馬追。千年の野馬追の歴史をまた1年、刻みました。
来年の夏はどうなっているのでしょうか、今から楽しみです。