なみえの今

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請戸 海の観える丘自治会 バーベキュー懇親会

2023年10月4日

こんにちは、地域づくり支援専門員の加納です。

発足から2年目を迎えた請戸住宅団地の『海の観える丘自治会』では、住民同士の親睦を深める催しとして、昨年住民の方に好評だったバーベキュー懇親会を9月17日に福島いこいの村なみえで今年も開催しました。今回はその様子をお伝えしたいと思います。

9月を迎えてもなお、まだまだ残暑の厳しさが続いており、この日も気温30℃を超える真夏日となりました。そんな炎天下のなかで行われたバーベキュー懇親会でしたが、小さいお子さんからお年寄りの方までたくさんの方々が参加されました。

今年は『海の観える丘自治会』の舛倉会長をはじめ、役員の皆さんも2回目の実施ということで、計画段階から準備、補助金の申請に至るまでほぼ自主的に進められました。自治会発足から約1年半、住民の皆さんで協力しながら運営を続けてきたことの何よりの証で、若い世代の方の参加も多くありました。

厳しい暑さに追い打ちをかけるように鉄板の熱さが作り手の方に迫るなか、首に巻いたタオルでこまめに汗を拭きつつ、熱中症予防の観点から水分摂取も欠かせません。そんななかでの調理は想像以上に大変だったかと思います。

焼きそばやお肉にウインナー、たまねぎやしいたけなどなど皆さんで手分けして焼いていきます。その様子を子どもたちやお年寄りの方々は、室内で休憩をとりつつ出来上がりを待ち望んでいる姿がありました。

途中から炭の火力も強くなり、工程が早まった影響もあって最初の焼きそばは、野菜が入る前に完成してしまいました。その後は野菜や肉、たっぷりのにんにくが入ったものなどが次々と出来上がり、皆さん口々に「美味しい!」と舌鼓をうっておりました。

みんなで一緒に食べるバーベキューに、子どもたちも大喜び。ひとりのお子さんから「ねえ虫は好き? これ~」と話しかけられ、手元には大きなカマキリが・・・。子どもはたいてい虫に興味があるかとは思いますが、おじさんは小さいときからあまり虫に関心が向かず。しかも飛ぶ虫はどちらかといえば苦手で。でも、こんなおじさんにも声をかけてくれてありがとうね!

さらに参加されたご年配の方は「本当においしかったわ」と感想を仰り、続けて「こういうときしか団地の方と顔を合わせることがないので、これを機会に誰が住んでいるのかも知りたい」といった声も聞かれました。

準備から片付けまで自治会の皆さんで協力して行い懇親会も終盤に。

最後はみんな一緒に記念写真をパシャリ!

和気あいあいとした雰囲気のなかでおこなわれたバーベキュー懇親会。こういった交流の機会を重ねることで、コミュニティ参加の輪が今後もさらに広がっていくのではないでしょうか。

末森の香取神社で竣功祭が開かれました

2023年9月7日

こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
震災と原発事故により被災し、再建が進められていた末森の香取神社で無事に工事が終わり、9月1日に竣功祭が開かれました。

香取神社は末森と田尻の2つの行政区に根差す神社で、再建委員会の皆さんや両地域の方々が町内や避難先などから足を運び、30人以上が集まって神社の完成を祝いました。

▲献杯する出席者の皆さん


香取神社は震災後、応急修繕工事を経て令和3年10月末に再建委員会が発足。
昨年6月には安全祈願祭をおこない、末森地区が特定復興再生拠点として避難指示が解除される今年の3月31日までは一時立ち入りの許可を得ながら工事が進められ、この日を迎えました。

⇒再建へ向けた動き、昨年6月の安全祈願祭の様子はこちら『大堀地区末森 香取神社』

もともと秋の例大祭を9月1日におこなっていたことから、竣功祭も日取りを合わせて実施したとのことで、秋祭り自体は13年ぶりの開催となりました。

竣功祭へ向けた会場の準備としては、前日の午後から役員10名程度が集まり、旗立てや幕の設置などを進めました。
準備の際には、盆踊りで使用する櫓についても、部品や建て方の確認も含めて役員の皆さんで組んで敷地内に設置しました。



再建委員会の副委員長で末森行政区の志賀元治区長は「櫓は確認のため組んでみた。ちゃんと部材があるか、傷みは無いか確認しないと。今後組み立てる際に分かりやすいよう、部材に番号などを書こうと思う」などと話しました。
今年は組み立てて設置しただけの櫓ですが、来年以降の考えについてお聴きすると「盆踊りをするにも、若手や地域の担い手がいないのは課題だな」とおっしゃっていました。


▲竣功祭では盆踊りの櫓も設置されました


同じく再建委員会の副委員長を務める田尻行政区の中西總一郎区長は式典のあいさつで「再建は感慨深い。震災や原発事故でやむを得ず地域を離れた方も、香取神社とこの地域はふるさとであり、永遠に心の拠り所だ。孫や末代まで守っていかねばならない」などと話しました。



再建委員会で庶務会計を務める田尻行政区の原中正義さんは工事経過報告の中で「今後、災害を記録した再建記念碑も建立する予定で、年末までは敷地内に完成するよう計画している」などと話し、ほかに明治時代からの香取神社の概要について30分ほど解説されました。

竣功祭終了後には社殿の内覧が呼びかけられ、出席した地域の方々も「せっかくの機会なので」と内覧し、中に飾ってある写真などを熱心に見る姿が印象的でした。

▲内覧する皆さん


原中さんは「神社だからいろいろ行事はあって、次はお正月に村祈祷があるんだけどな」などと話していました。

特定復興再生拠点として避難指示が今春解除された末森地区も、既に解除されていた田尻地区も、まだまだ帰還者は少ない状況のようです。地域の神社が再建されたことで地域行事等が再開し、人々をつないでいってくれれば・・・と感じました。



立野上の愛宕神社『東日本大震災復興祈念碑』

2023年9月4日

こんにちは、地域づくり支援専門員の加納です。

今回は、苅野地区の立野上行政区にあります愛宕神社の東日本大震災復興祈念碑建立についてお伝えします。

前月に立野上の加藤修区長にお話を伺う機会があり、その際に立野上にある愛宕神社の整備や石碑の建立について、改めていろいろとお伝えくださりました。
『東日本大震災復興祈念碑』は2022年5月に完成し、同月27日に除幕式を行ったそうです。当時、すぐに情報の発信をすることができなかったこともあり、支援員として新参者の自身が改めて神社の整備や建立の経緯、想いなどについて関係する方々にお話を伺わせていただきました。まずは実際に愛宕神社へ向かってみます。

立野上の愛宕神社へは、国道114号線から県道34号線に入り立野方向に北へ進みます。さらに途中、脇道へ入っていき・・・場所は少しわかりづらかったのですが無事にたどり着くことができました。参道には少し草が茂っておりましたが、鳥居をくぐりその先へ進んでみます。

さらに坂を登り、階段を上がった先の丘の上に神社がありました。

 ▼境内には昭和55年建立の『愛宕神社々殿新築記念碑』もあります▼

加藤区長より「石碑の建立については、立野上の前区長の佐藤武行さんが切望されて計画を進めてきた経緯があるのでぜひ話を伺ってみては」とお伝えいただきました。佐藤さんにはお忙しいところご対応いただき、貴重なお話を伺うことができました。
早速、石碑建立までの経緯を伺うと「(総会時などに)皆さんの意見や要望もあって、震災から10年をひと区切りにして現状を記しておきたい」という想いから計画がはじまったそうです。
石碑を建てる場所に関しては「本当は公民館があったところに建てたいと思ったが、私有地ということだったので。そこで愛宕神社と調整をし、許可をもらい現在のところになりました」ということで加えて「本当はもっと早くお披露目をしたかったが、新型コロナウイルスの影響で石碑の製作が予定どおりに進まなかったことと、(コロナの)まん延状況もあり遅れてしまった」と当時の様子を教えてくださりました。

製作された復興祈念碑の文言については「(震災から)区切りでもある10年目のことを題材に、いまの現状を伝えるためのものをと考えた」と仰る佐藤さん。全427文字の中には〈原発事故により住民が県内外へ避難を余儀なくされたこと〉に加えて〈お祭りの際には住民の3倍近くの人出で賑わっていた〉ことなど、ふるさと立野上へのさまざまな想いが込められています。ちなみに祈念碑の裏面には、震災時に立野上に在住されていた世帯主名が刻まれています。

 ▲2023年8月下旬の愛宕神社と境内の様子▼

さらに、神社境内の整備などで『東日本大震災復興祈念碑』の建立に携わられた横山政治さんにもお話を伺いました。立野上の愛宕神社の管理などもされている横山さんは「立野上は震災前に(住居が)65軒くらいあったが、いまは2、3軒ほどしか住んでいない」と仰り、続けて「(神社の整備や管理を行う)後継者がいないので継承が難しい。自身も年齢的にこれまでのようにはできないし、次の世代に担ってほしいんだが・・・」と地域の現状も伝えてくださりました。

最後に、佐藤さんへ今後の立野上や浪江の復興について伺ったところ「元のようにひとが戻ってきてくれれば・・・これは(自身の)想いだけどね」と率直な気持ちを話してくださりました。

加藤区長からは「立野上でも若いひとで米づくりをやるという方が出てきた」というお話もいただき、そういう方が増えるように一緒に農作業を行ったり、新規就農者への協力なども進めたい考えも伺いました。

たくさんのひとが地域づくりに加わることによって、美しい立野の田園風景がさらに輝きを増すものになればと思います。

国玉神社『川添盆踊り大会』

2023年9月2日

こんにちは、地域づくり支援専門員の加納です。

7月に行われた八坂神社での盆踊りに続き、今回は川添地区にある国玉神社で開催されました盆踊り大会をご紹介します。
昨年に引き続き、再開2年目となる今年は『川添盆踊り大会実行委員会』も立ち上がり、川添芸能保存会の皆さんや4行政区の区長を中心に、地域住民の方々も一緒になって盆踊りを盛り上げていました。

盆踊り大会当日の天候があまりよくない・・・という予報を耳にしていたため心配していたのですが、前日にテント張りなどの会場準備をお手伝いした際、区長の皆さんからは「国玉神社の盆踊りの日が雨だった記憶はないし大丈夫だよ」と力強いお言葉が。そして当日、仰っていたとおり盆踊り大会が始まる時間帯には青空が広がっていました。この日の午前は津島地区で別の支援がありましたが、ほぼ雨模様という天候だったので、この回復への変化には正直驚いてしまいました。きっと盆踊り大会に対する皆さんの強い思いが通じたのだと思います。

盆踊り大会が始まる前に、川添芸能保存会の皆さんが中心となり神楽が奉納されました。大会の実行委員である川添北、川添南、佐屋前、上ノ原の4行政区長も神楽の演目(乱獅子)へ参加。ほどなくして「家内安全、大安全」「商売繁盛、大繁盛」「交通安全、大安全」というかけ声が会場内に響き渡ると、大きな獅子が豪快に舞う姿を多くの来訪者が写真や動画に収めていました。

 ▲皆さん躍動する獅子の舞いを思い思いに撮影▼

 ▼笛や太鼓の音色が獅子の動きの臨場感をさらに引き立てます▼

 ▼各区長も入って大きな獅子が乱れながら舞う姿▼

このあと盆踊り大会へと移るのですが、奉納に携わった皆さんの休憩や準備があるためしばし中休み。その間に川添芸能保存会の石澤会長によるごあいさつならびに保存会メンバーや出店の方の紹介を兼ねたインタビューが始まりました。

 ▲皆さんとのやりとりに会場は温かい雰囲気に包まれる▼

盆踊り大会に関わる多くの〝仲間〟に対する石澤さんの想いがあふれたこの場面は、地域のつながりと絆の強さをより実感できる貴重な時間となりました。
そして一丸となって進めてきた盆踊り大会がこのあといよいよはじまります。

最初はおとな中心に踊りの輪が形成されていましたが、だんだんと子どもたちが加わり、華やかさと同時ににぎわいが増していきます。ここ数年、新型コロナウイルスまん延によってあらゆることに対して自粛を強いられてきただけに、その開放感からか子どもたちの楽しそうな表情や笑顔がはじけている様子がとても印象的に映りました。

この日はまた、子どもたちが楽しめるくじ引きやヨーヨーなどに加え、食べものや飲みものなどの屋台コーナーも開設。しかも今年はビールを含めたお酒の販売も解禁になったうえ、この暑さも手伝って出店は大盛況でした。

まだまだ今季の暑さは続きそうですが、参加された皆さんにとって『川添盆踊り大会』は、この夏の楽しい思い出の1ページとなったのではないでしょうか。
来年もまた各地域で行われる盆踊りやお祭りなどが、今年のように制限なく思いっきり楽しめるものになってほしいと思います。

津島で南津島の田植踊り練習会が開かれました

2023年9月1日

南津島の田植踊りに関する続報です。
8月26日と27日の二日間、津島の特定復興再生拠点にあるつしま活性化センター多目的ホールを会場に、南津島の田植踊りの練習会が開かれました。

ちょうど一年前にお伝えした、宮城県にある東北学院大学歴史学科の学生が「東北学院大学南津島民俗調査プロジェクト」の一環で取り組み、23名が浪江町内に泊まりながら練習を進めました。

これまでも昨秋に浪江町を会場に開かれた『ふるさとの祭り』への参加や、今年の7月末には南相馬市内でおこなわれたイベントへの参加で学生のみで田植え踊りを披露するなど、精力的に活動している様子が感じられます。

昨年8月下旬の様子はこちら⇒継承への挑戦、南津島の田植踊りの取り組み

避難先から駆け付けた地域住民らが見学する中、南津島郷土芸術保存会の三瓶専次郎会長や会員らが熱心に指導しました。
これまでと鍬頭(くわがしら)を担当する学生が違う様子に気づき、聞いてみると「あの役をやってみたい、と希望して今回練習してきたみたいだよ」と保存会の方が教えてくれました。
保存会の方は「昨夏から学生たちと取り組み始めて1年になった。学生は、踊りの役を入れ替わるなど試している。いざというときに対応できるし、色んな役をやってみたほうがいいと思う」など感想を述べました。

原発事故前は自宅が田植踊りの練習場所でもあった、庭元の紺野宏さんに感想をうかがうと「原発事故後初めて南津島で練習となるから、涙が出るほど嬉しいという感想をマスコミは欲しいのかと思うけど、そういう気持ちでもない。でも、もともとの練習場所じゃないとダメだろうと怒るほどでもない」と少し考えこんでから話しました。そして「これまで12年間、避難先の色んな公共施設で練習してきたから、その延長だなという気持ちかなあ」と感想を述べました。

本来の旧正月の行事として地域に根差し、集落の各戸をまわるようになるまでは、まだまだ本格的な復活と感じるのは難しいのかなと感じました。そしてそれは避難指示の解除や住民の帰還が進んでいかない限りは、難しいことなのだと思います。

しかし学生たちの熱心な取り組みは、地域の皆さんのつながりを維持していくきっかけの一つになっているのでは、と感じました。

引き続き、南津島の田植踊りの動きをお伝えしていければと思います。

地域づくり支援専門員 今野がお伝えしました。