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地域づくり支援専門員の東山です。
町内に旗指物(はたさしもの)が見受けられるようになってから楽しみに待ちわびた日。
ほら貝の優雅な音色と騎馬の蹄音が心地よく鳴り響くなか、厳かな雰囲気に包まれ、ついに浪江町で8年ぶりの標葉郷野馬追祭が執り行われました。
(続々と中央公園に集まる騎馬武者達)
(中央公園を出発、8年ぶりの御行列が始まりました)
出陣された本林耕作さん(功労者・83歳)の奥様に中央公園からの出陣が終わった際にお話をうかがいました。
「感激です。今までは原町、小高までの開催だったけど浪江でやると、浪江町の人と会える。いろんな人と会えて、言葉が詰まった」
「地域の人が集まることでふるさとの復興につながる。浪江町で来年また会える、というのは励みになる」
「帰りたくても帰れないもどかしさの中で地域の祭りでみんなに会えたことがうれしい」
など、町内での開催と多くの再会を喜ばれていました。
そして「高齢者に夢を聞いても、無いというのが普通だろうけど、主人にとっては野馬追に出陣することは夢であり希望であり継承の手助けになる。地域にお祭り(野馬追)があることは”やりがい”に通じ、本人の健康維持の努力にもつながっている」と、野馬追に対する熱意と魅力を話してくださいました。
8年ぶりの野馬追において再会の笑顔に包まれた浪江町でした。
来年の野馬追が今から楽しみです。
(2日目の帰り馬。浪江の駅前に相馬野馬追が戻ってきました)
地域づくり支援専門員の引地です。
珍しく雨の野馬追となった7月28日、浪江町中央公園で行われた標葉郷の出陣式。
私は街中に旗指物が掲げられた7月初旬から、ワクワクしながらこの日を待ちわびていました。
朝8時。中央公園に集まった町民の中には家族連れも多く、集合している騎馬武者の皆さんを観て「すごい!」と目を輝かせている子どもたちが印象的でした。
(中央公園から出陣、8年ぶりに町内でお行列です)
出陣後、標葉郷の騎馬たちは南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地に向かいます。
騎馬武者の皆さんに、感想を聞いてみました。
標葉郷の郷大将を務める吉田栄光さんです。
初日を終えたところで少しだけお話を伺うことができました。
吉田さんは高校1年の初陣から、35年以上出陣されているそうです。
8年ぶりの浪江本陣からの出陣を振り返り、力強く一言。
『感慨深い!』
御使番の木村奈々美さん、中学1年生です。
奈々美さんは小学3年から練習を始め、小学4年で避難先から初陣を果たしました。
ふるさと浪江からは初めての出陣です。
馬上から久しぶりに浪江の町を見ると「幼いころの記憶がよみがえってきた。いつかはみんな元気に暮らせる町になったらいいな」と感じたそうです。
初日を終え、あらためて『騎馬武者の皆さん・観覧の皆さん・支えている関係者の皆さん・相双地方』がひとつになる日なんだなあと感じました。
こんにちは、地域づくり支援専門員の河原です。
8年ぶりとなった標葉郷野馬追祭が無事、終わりました。
BLOG”なみえの今”では今回から4回に分けて、野馬追の様子や私たちの感想をお伝えします。
神奈川県出身で、今年から浪江町に住む私は出陣の様子を初めて見ました。
会場となる中央公園には町内や避難先から、浪江町、そして双葉町・大熊町の騎馬武者たちが集合しました。
今年は56騎も集まったそうです。
会場が広いため、大きな馬が早足で走り回っても十分なスペースがあるのですが、近くで見るとその迫力に圧倒されます。
時々大きな声でいなないたり、急に後ろに下がったり、馬からは目が離せません。
一人の少女が、お父さんお母さんと一緒に見に来ていました。
キョロキョロと馬の挙動を追いながら、熱心に様子を伺っています。
将来大きくなって、女性騎馬として出陣するかもしれませんね。
いずれにしても、夏休みの大切な思い出になったことでしょう。
騎馬武者たちはいよいよ中央公園から出陣。中心部を一巡、練り歩きます。
なみえの街中は今、至る所で解体作業が行われています。
来年にはどんな景色が見られるのでしょうか。
今度は建設ラッシュになっているかもしれません。
いずれにせよ、8年ぶりに復活した「標葉郷野馬追祭」がいつまでも続くように、願ってやみません。
8月2日から、町内の国道399号、国道459号など、東京電力福島第一原発事故にともなう帰還困難区域でこれまで通行を制限していた道路が、一部で自由通行再開となりました。
各道路とも自由通行となった個所は既に除染され、通行した際の積算被ばく線量などの発表を見ても、一時的に通過する分には特に問題はないと個人的に感じました。
さっそく2日の午後に、視察してきました。
写真は自由通行再開となった
県道35号のいわき浪江線(約4.7キロ区間が自由通行となりました)
県道253号の落合浪江線(約3キロ区間が自由通行となりました))
です。
(114号線から県道35号いわき浪江線、いわき方向を臨む)
(県道35号線から、橋を越えてこれまで通行できなかった県道253号線落合浪江線へと曲がります)
国道399号で自由通行となったのは葛尾村境-国道114号間の約4.2キロ、国道459号では川俣町境-国道399号間の約4.0キロです。
この2つの道路の自由通行化は、帰還困難区域である津島地区から中通り方面に避難している住民の方が一時帰宅や浪江町内と行き来する際、便利になるだろうとされています。
津島の大昼行政区 佐々木保彦区長は「一時帰宅するのに、ちょっと近くなった」「私が使う場合だと、ゲートが一つ分減るから良くなったよね」とアクセス面で向上した点を喜ばれました。
(114号線から中通り方面へ。この先を左に曲がり399号国道や459号国道へと自由通行できるようになりました)
(この先が自由通行で都路や二本松へとつながりました)
(399号線。葛尾、いわきへつながります)
さっそくお仕事や用事でご利用されている方も多いようで、何台かの車とすれ違いました。
間もなくお盆となります。
お墓参りでの一時帰宅で、より多くの方が利用され、浪江町をもっと身近に感じて頂ければと思います。
地域づくり支援専門員、今野がお伝えしました。
こんにちは。
地域づくり支援専門員の今野です。
まちづくりなみえでは、スタッフが放射能について学ぶ勉強会を定期的に開いています。
環境省事業「放射線リスクコミュニケーション相談員支援センター」の全面的な協力で、専門家の杉浦紳之さんを講師に招いて6月、7月と、これまで2回勉強会を開きました。
写真は1回目の様子で、目に見えない放射線を「霧箱(きりばこ)」を使うことによって見てみよう、というものです。
この霧箱は1897年にチャールズ・ウィルソンが発明した古典的な装置の一つなのだそうです。
すごく簡単に説明するならば『放射線の電離作用により、霧箱の中に現れる飛跡を確認できる装置』です。
つまり放射線そのものではなく、放射線が飛んだ跡の「飛跡(ひせき)」で見えない放射線を認識することができるというものなのです。
実は小学校の放射線教育では活用されているのですが、一般向けの講習や講演会などでは使われる機会が少ないようです。
目に見えないと言われる放射線が見られれば、興味深々です。
「なんで線が細かったり太かったりするんだ?」「線が曲がったり、短い線もある」など、放射線を実際に見ることで質問がどんどん飛び出し、疑問に答えてもらうことをきっかけに様々なことを知ることが出来ました。
7月に開かれた2回目の勉強会では、内部被ばくについて知ろう、ということで事前に受診したホールボディカウンター(内部被ばく検査)の検査結果を見ながら議論を進めました。
いわゆる放射能の講演会では講師の方が1時間ぐらい話した後、質疑応答となることが多いようですが、私たちの場合は講義中にも気になったことはどんどん質問していきます(笑)。しかし、このような対話のかたちで講演が進行することで、理解が深まっているように感じます。
このような感じで2回目の勉強会も放射能に関していろいろと学びました。
さてホールボディカウンターの受診結果ですが、浪江町で暮らすスタッフ一同、内部被ばくはしておらず(今回の測定でのセシウム134の検出限界は130Bq、セシウム137の検出限界は180Bq。正確には、それぞれの値までのセシウムは見つからなかったということですが、限りなくゼロに近い、ほぼない、という理解で良いと思っています)、当然のことですが現在の浪江町および福島県内で日常を過ごし、市場に出回っている県産の食品を頂いても、まったく問題は無いということを感じました。
私自身、原発事故直後は食品や内部被ばくについてとても不安を感じていました。
しかし放射能について学んで知識を得ていくうちに、不安がなくなってきました。
むしろ福島県産の市場に出ている食べ物については、農家の皆さんが細心の注意を払ってつくっていたり、しっかりした検査がされていることなどから、誇りを持てるようになりました。
福島県内では毎日のニュースや新聞でも放射能の情報が伝えられていています。その情報をしっかり受け止めるためにも、私たちは基本からあらためて、放射能についてこれからも学んでいきたいと思います。