なみえの今

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津島で南津島の田植踊り練習会が開かれました

2023年9月1日

南津島の田植踊りに関する続報です。
8月26日と27日の二日間、津島の特定復興再生拠点にあるつしま活性化センター多目的ホールを会場に、南津島の田植踊りの練習会が開かれました。

ちょうど一年前にお伝えした、宮城県にある東北学院大学歴史学科の学生が「東北学院大学南津島民俗調査プロジェクト」の一環で取り組み、23名が浪江町内に泊まりながら練習を進めました。

これまでも昨秋に浪江町を会場に開かれた『ふるさとの祭り』への参加や、今年の7月末には南相馬市内でおこなわれたイベントへの参加で学生のみで田植え踊りを披露するなど、精力的に活動している様子が感じられます。

昨年8月下旬の様子はこちら⇒継承への挑戦、南津島の田植踊りの取り組み

避難先から駆け付けた地域住民らが見学する中、南津島郷土芸術保存会の三瓶専次郎会長や会員らが熱心に指導しました。
これまでと鍬頭(くわがしら)を担当する学生が違う様子に気づき、聞いてみると「あの役をやってみたい、と希望して今回練習してきたみたいだよ」と保存会の方が教えてくれました。
保存会の方は「昨夏から学生たちと取り組み始めて1年になった。学生は、踊りの役を入れ替わるなど試している。いざというときに対応できるし、色んな役をやってみたほうがいいと思う」など感想を述べました。

原発事故前は自宅が田植踊りの練習場所でもあった、庭元の紺野宏さんに感想をうかがうと「原発事故後初めて南津島で練習となるから、涙が出るほど嬉しいという感想をマスコミは欲しいのかと思うけど、そういう気持ちでもない。でも、もともとの練習場所じゃないとダメだろうと怒るほどでもない」と少し考えこんでから話しました。そして「これまで12年間、避難先の色んな公共施設で練習してきたから、その延長だなという気持ちかなあ」と感想を述べました。

本来の旧正月の行事として地域に根差し、集落の各戸をまわるようになるまでは、まだまだ本格的な復活と感じるのは難しいのかなと感じました。そしてそれは避難指示の解除や住民の帰還が進んでいかない限りは、難しいことなのだと思います。

しかし学生たちの熱心な取り組みは、地域の皆さんのつながりを維持していくきっかけの一つになっているのでは、と感じました。

引き続き、南津島の田植踊りの動きをお伝えしていければと思います。

地域づくり支援専門員 今野がお伝えしました。



八坂神社の盆踊り 樋渡・牛渡行政区

2023年8月29日

皆さまはじめまして、2023年7月より地域づくり支援専門員として活動を開始した加納です。

東京より移住してまだ2カ月ほどなので、毎日少しずつ浪江のことを知っていく段階なのですが、町民の皆さまの想いや移住者として感じる〝なみえの魅力〟などを発信していきたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いいたします。
移住に先立ち、浪江の気候について地元の皆さんから「(中心部の)夏はそんなに暑くなくて、冬もたくさん雪が積もるなんてもこともあまりないですよ」と伺っていたので正直ホッとしていたのですが、実際は外にいると汗が止まらないような真夏日や猛暑日の連続。しかし浪江で今年のような暑さが続くことは例年にはなかったそうで・・・東京暮らしで暑さには慣れているのですが、こう暑いと本格的な秋の訪れが恋しくなります。

はじめてこの地で迎えた予想以上の暑い夏でしたが、それ以上に印象深かったのが浪江地区にある2つの神社で行われた〝熱い〟盆踊りでした。今回はまず樋渡・牛渡行政区内にあります八坂神社の盆踊りをご紹介したいと思います。

一面に青空が広がり好天となった7月22日の午前、八坂神社にて例大祭が執り行われました。祭典が終わると樋渡・牛渡行政区の鈴木辰行区長より集まった皆さまにごあいさつがあり、その後神楽の奉納へと移ります。

厳しい暑さをものともしない堂々とした動き、そして舞い手お二方のピタリと息が合った姿はまさに職人技。炎天下のもとでしたが、皆さん日陰にて躍動する獅子の舞いを見守っていました。

 ▲皆さんが獅子の一挙手一投足を見守るなか神楽が奉納される▲

 ▲力強く地面を踏みしめるダイナミックな動きは圧巻▼

 ▼踊りを彩る笛や太鼓の美しい音色は暑さのなか涼も感じさせてくれます▼

神楽に続いて田植踊りの奉納も行われました。

鮮やかな色合いの衣装がとても印象的で、笛や太鼓のリズムに合わせた手足の繊細な動きは暑さも忘れ見とれてしまいます。それぞれの方が忙しいなか、きょうのために練習を積んでこられたのだと思います。また踊り手に若い方が多く見受けられ、これまで受け継がれてきた伝統のバトンがしっかりと次の世代へと渡っていると感じました。

 華やかな衣装に身を包んだ踊り手の皆さんによる田植踊りの奉納▼

 ▲樋渡・牛渡の田植踊りは世代を超えて確実に受け継がれています▼

 ▼踊りを終えられた皆さんで一緒に写真撮影▼

はじめて見る神楽と田植踊りの舞いを堪能し、午前中だけでも見ごたえ十分だったのですが、このあと休憩をはさみ午後からはいよいよ盆踊りがスタート。最初は暑さもあり、櫓を囲む人はまばらでしたが、鈴木区長による盆唄が響き渡ると徐々に踊りの輪が広がっていきます。老若男女関係なく、皆さんとても楽しそうに踊りながら歩を進めていました。途中、区長に代わって登壇した若い方も盆唄を披露。周りで鳴いていたセミの声をかき消すほどの迫力ある声色でした。

 ▲お二方の美声が響き渡り、踊りの輪はさらに広がっていく▼

 ▼水分補給や休憩をはさみつつ皆さん積極的に踊りの輪に合流▼

受付にいらした方も「去年の盆踊りのときより参加者が多いんじゃないかな」とお話しされていましたが、本当に多くの方が来訪され、皆さんそれぞれ盛夏のひとときを存分に満喫できたのではないでしょうか。

代々この地で受け継がれてきた伝統、そして何より地域の皆さんのつながりの強さを感じることができた1日となりました。

大平山霊園で4年ぶり、お墓参り休憩所

2023年8月22日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

お盆期間中の8月12日(土)、13日(日)の2日間、請戸地区にある大平山霊園でお墓参りに来た皆さんが一息つけるお墓参り休憩所を実施しました。
2018年、2019年にも実施していましたが、その後は新型コロナの状況から毎年見送っており、4年ぶりの実施となりました。

以前の様子は以下をクリックしてください。

ブログ 大平山霊園で憩いの場づくり(2018年8月)

ブログ 大平山霊園 お茶っこ休憩所(2019年8月)


初日は時折小雨が降る雨模様の中となりましたが、中浜行政区の川口登区長も滞在され、お墓参りしている皆さんに積極的にお声がけなどいただいたことで40名以上の方にお立ち寄りいただきました。
2日目は快晴となった中、冷たい飲み物で一休みできる場ということで、こちらも40名近い利用がありました。

災害危険区域に指定された請戸地区の皆さんは、主に町外に散り散りになり生活を送っています。さらにコロナ禍もあったことから「久しぶり!」「ここで会えて話せてよかった~」などという声が、何度も聞けました。

また、現在の住まいを決めた過程などを教えてくださる方もいて「街中に避難したんだけど、やっぱり波の音が聞こえてないと落ち着かないのな。今は海のそばの家で暮らしている」。別の方も「ざーざーとずっと波の音が鳴っていてうるさいと思うかもしれないけど、いっつもこの音が聴こえていたんだよな」など、海のそばで長年暮らした方たちならではのお話も聴けました。

震災前の懐かしい写真のファイルも並べたため、懐かしそうに、うれしそうにご覧いただく姿も見れました。
「あっ、これ私!」「うちの兄貴だ!」とか「●●年の安波祭にはうちの娘出ているんだけど、その時の写真はないのかなあ」「近所の〇〇さん。若かったなあ」など、写真を手に取って話が弾んでいました。
とても残念なことですが、そうした写真も津波で流されてしまっています。「たった1枚だけ、思い出の品の展示場に写真があったから、前にもらってきたんだけどさあ」などと話す方もいらっしゃいました。

請戸地区ではお盆期間中の決まった3日間は毎日お墓参りに来る、といった風習があったようで、ご先祖様をとても大事にする地域だったのかなと思います。
今は、町外から訪れる方が多いため、以前のようなお墓参りも難しくなったかもしれません。

「浪江町には行かなくなってきたけれど、お墓参りには必ず行く」
そんな声は、町内の他の地域でも耳にします。
お墓参りを通じて、地域の皆さんの交流・つながりの維持が今後も続いていくよう願っています。


お茶飲み交流会を津島で実施しました

2023年6月23日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

6月21日(水)平日の午前中実施となりましたが、つしま活性化センター会議室を活用し「お茶飲み交流会in津島」を開催しました。
津島地区の特定復興再生拠点で3月31日に避難指示が解除され、津島住宅団地の入居者も少しずつ増えてきていることもあり、団地入居者を中心に、特定復興再生拠点に帰還されている方や津島から避難されている方なども、お茶を飲みながらゆっくりと交流できる場ができればと実施しました。

当日は住宅団地から3名、ご参加いただきました。

また、当日はイオン浪江店の移動販売日でもあったため、会場の前で買い物する時間なども挟みながら、ゆるやかに皆さんで交流しました。

▲移動販売で買い物する皆さん

津島でようやく、このような場づくりができるということもあってか、町外で活動する浪江町の復興支援員の方も3名、様子を見にいらっしゃいました。

参加された住民の方で、町外から移住してきた方は「津島に住宅団地ができると聞いたが多くの帰還が望めない状況と聞き、なにかできないかと移住した。自然も多く静かで、気持ちも良い」「不便な面もあるが、個人的にはそれほど困るようなことはない。仕事の関係もあり、津島に住んだ」などと、自己紹介に添えてくださいました。

▲パトロール中の警察の方も、ごあいさつ

津島地区出身の方は「入居された方と話すことによって、安心感が出る。こういった交流の場が、いつ開かれるのかなあと期待していた」「これからも皆と、花植えやバーベキューで交流できればいいな」などと話されました。

当事業では引き続き、津島の皆さんが交流できる場を定期的につくっていきたいと思います。


中浜に震災を伝える祈念碑が完成しました

2023年6月16日

こんにちは。地域づくり支援専門員の今野です。

請戸地区の中浜行政区に、震災の記憶を残し後世に伝える石碑が完成し、6月11日(日)に竣工式がおこなわれました。

石碑の建立については数年前から、中浜行政区の皆さんが話し合われていたものです。

竣工式はあいにくの雨模様となりましたが、町外のお住まい各地から20人、中浜の皆さんが集いました。

宮司が祝詞を奏上するなどし、出席された皆さんで震災の犠牲になられた地域の方々へ黙祷をささげました。

請戸地区は災害危険区域となっており、中浜行政区も残念ですが戻って住むことはできなくなった場所です。

中浜の川口登区長にお話をうかがうと「中浜行政区は大津波で壊滅的な被害を受けた。中浜をなにか残したいと考えた。50世帯がこの地で営みを持っていたことを伝えたいと思った」などと想いを述べてくださいました。

石碑には「中浜地区大震災祈念碑」と刻まれ、津波により二十余名の尊い命が奪われたこと、原発事故で避難を強いられたことや、中浜地区の成り立ちなどが記されています。
また裏にあたる面には中浜行政区の東日本大震災当時の各戸があった地図と、その上に世帯主の名前が彫られています。
場所は震災遺構となっている請戸小学校からつながる道路、小学校の南側となっています。
ちょうど中浜行政区全体でも中心あたりに位置するということと、道路沿いで石碑の存在もしっかりと伝わり、立ち寄りやすい場所になったなどと川口区長がおっしゃっていました。

12年前、この場所にはお一人お一人の暮らしや人生があったことを、祈念碑の前であらためて思い、想像していただければ…と感じました。

▲集まった皆さんで記念撮影



機会があればぜひ、お立ち寄りいただければと思います。