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こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
3月31日に津島地区の特定復興再生拠点が避難指示解除されるのを前に、津島地区の災害公営住宅が完成し、18日に完成式が開かれました。
平年よりも高い気温で暖かい日が続いていましたがこの日はぐっと冷え込み、津島が近くなってくると雨も雪に変わり、町なかとの気候の違いをあらためて感じる日となりました。
完成式には入居を予定している住民と吉田栄光町長ら町の関係者、津島地区の行政区長などが出席しました。
吉田町長は式辞で「津島は結(ゆい)の助け合いがあり、豊かに暮らしていた地域。必ず白地地区を含めた津島を復興させる」などと力強く述べました。
住宅は町役場津島支所(つしま活性化センター)の隣に造られ、2LDKと3LDKの木造平屋建てが合わせて10戸となっています。
完成式と入居者説明会の間のお昼の時間をいただいて、当事業では入居者の顔合わせと交流の機会としてちょっとしたお茶の席を設けました。避難指示の解除に向けてつしま活性化センターが利用できるようになったことでこのような場づくりができるのは、当事業にとっても感慨深いことです。
完成式後に残っていただいた一部の区長らも加わりましたが、皆さん以前からお知り合いだったので、特にかしこまって仕切る必要もないまま、ざっくばらんに、ほのぼのとした会話が飛び交いました。
「引っ越しはいつするの?」「もし農作業とかやりたかったら、うちの畑を自由に使っていいぞ」「○○さんは元気にしている?」など親しい間ならではのやり取りをされていました。
入居された方のひとりは「元々住まいは拠点外で帰還はまだできないけど、もう住めないとあきらめるのではなく、できることを頑張っていきたい」などと話していました。
特定復興再生拠点として津島地区で避難指示解除される区域は、津島全体のわずか1.6%であり、まだまだ困難な状況は続きますが、ここから少しずつ、津島にも変化が出て復興も進んで行くことを願います。
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。今回は今野と引地の2名でお伝えします。
2月19日(日)、請戸地区の苕野(くさの)神社で安波祭が開かれました。
新型コロナウイルスの影響で昨年、一昨年と規模を縮小し関係者で神事のみを執り行う形で続けてきましたが、今年は雅楽・神楽・田植踊が3年ぶりに奉納されました。
盛り土で固められ造成中となっている神社の再建場所の奥、津波でほとんどが流された本来の場所で祭りが開かれるのも、今年が最後となります。
雨が危ぶまれましたがほぼ曇り空で済んだこの日、会場には請戸の方や安波祭を楽しみにしていた方々が大勢集まり、神事や神楽、田植踊の奉納などが執り行われました。
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苕野神社の氏子総代長を務めている五十嵐光雄さんは終了後に一言、
「今日まで紆余曲折があったが、漁師らから『海で働く人間にとって苕野神社が励みになる』と言われた。来年は立派な苕野神社が建立される。安波祭は続くのでよろしくお願いします」
などと想いを述べました。
地域づくり支援専門員の引地です。ここからは田植踊の様子をお伝えします。
今回新たに4歳と6歳の踊り手が加わり、練習の成果を発揮していました。
震災前は神社での奉納だけではなく『村まわり』として請戸地区内の家々をまわり、踊りを披露していた請戸の田植踊。
そして今年は「少しでも前の姿に戻そう」と以前のように村まわりが再開されたのです。
神社奉納の後に、請戸のかつての商店街があった場所、新たな災害公営住宅の請戸住宅団地、幾世橋住宅団地の3か所をまわりました。
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請戸住宅団地と幾世橋住宅団地には、もともと請戸に住んでいた方も多くいらっしゃいます。 住民の皆さんには自治会長を通し事前にお知らせしており、踊り手の到着に合わせ皆さんが集まりだしました。
「大きくなったことー!」「久しぶりだなー」という声が響き、請戸の子どもたちの成長した姿に笑顔になる人、踊り手の父兄の皆さんとの再会に喜ぶ人、そんな場面がとても印象的でした。
そして踊りに欠かせない唄やお囃子。今回は今まで踊り手だった18歳の女の子が初めて歌い手に加わりました。 長年唄っていたお二人と共に神社で唄い、本当に緊張したと思いますが立派に唄いきりました。
3人で唄う姿、そして背中から支える手。リズムや節をとるだけではなく、しっかりとした愛情が伝わってくる手。
これこそが継承への姿なのだと感じました。
神楽奉納では「今回で笛の吹き納めだ」と話し、後進に託すという前請戸芸能保存会会長の姿もありました。
長い歴史で継承を繰り返し、続いている地域の祭りや民俗芸能。その長い歴史のなかでも東日本大震災という今も続く大きな困難のなか、「つなぐ」ことに尽力されている関係者の皆さまの姿をしっかりと胸に刻みたいと、この請戸の安波祭を通し実感しました。
いよいよ来年は再建される新しい苕野神社での安波祭。盛大に執り行われることでしょう。
踊り手の成長した姿もとても楽しみです。
(震災後の安波祭についてのこれまでの投稿は、下のタグ「安波祭」をクリックしてください)
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
町内の年末年始は比較的穏やかな天気でした、皆さんはゆっくり過ごされましたか。
今回は幾世橋地区の年末の地域活動を紹介します。
幾世橋、北幾世橋北・南行政区では地区の年間活動として、年に数回環境美化活動が行われています。
12月25日年内最後の日曜日、地域の皆さん約20名が初発神社に集合。これから地区内の神社を清掃し、お正月を迎える準備を整えます。
また今回は、清掃活動の前に、初発神社社務所の地鎮祭も執り行われました。
以前の社務所は大正9年に建てられ、長い間地域の皆さんの集う場として利用されてきましたが、東日本大震災により大きな被害を受け、やむなく解体となってしまいました。
コロナや資材高騰により遅れがでたものの、ようやく工事開始の目処がたち、皆さんが集まるこの日に地鎮祭を執り行う運びとなったようです。
春ごろから工事を開始し、来年2024年のお正月には完成させたいとのこと。
田村宮司は「50年100年の将来を担う子どもたちが誇れる幾世橋地区にしていくなかで、心の拠りどころとして神社は大切と考えている。神社が地区の中心として皆さんと共に復興を成し遂げられるよう努力していく。」とお話されました。
“子どもたち”というお言葉がありましたが、私も学生時代に地元の神社で遊んだ記憶が鮮明に残っており、神社は“いつもの場所”でした。大人になり地元の神社を訪れる機会は減りましたが、心の拠りどころという感覚は今も残っています。
この初発神社で子どもの声が響いたり、学生同士で語り合う姿があったり、そんな未来の光景に思いを馳せながら、私も宮司の話に耳を傾けました。
地鎮祭が終了すると、皆さん竹ぼうきを持ち、さっそく清掃開始です。
初発神社の次は山津見神社、八幡神社、稲荷神社と移動し作業をすすめます。
手際よく手を動かしながらも、皆さんそれぞれに近況を伝えあい談笑する姿が見受けられました。
神社4か所を清掃後、初発神社に戻り解散です。
最後は区長からの連絡があり「総会は、3年連続コロナでストップしていたが次は開催したいと思っています」とのこと。
ここ数年「コロナで総会ができなくて困る。やはり顔を見て集まらないと・・」と町内多くの区長から声を聞いていました。やっと今年は集まる機会も少しずつ戻りそうですね。
清々しいお正月を迎えることができるのは、このような地域の皆さんの活動が土台となっています。
今年もそんな町民の皆さんの姿や活動を発信していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
こんにちは、地域づくり支援専門員の吉田です。
早いもので今年も残りわずかとなりましたが・・・みなさんいかがお過ごしでしょうか?
今回は、11月26日におこなわれた上ノ原行政区の花植え活動についてお伝えします。
上ノ原行政区で2019年から定期的に実施されている、9回目の花植え活動が行われました。
参加者は、区長含め行政区より17名とその他4名。
今回は以前から女性の皆さんの希望であった、けんちん汁の振る舞いも実施されました。
前日のうちから区長や役員の皆さんによって花植えとけんちん汁の準備を進められ、当日は参加者を心待ちにしている状態になっていました。
今回初めて参加されたご家族の中には、可愛らしい小さなお子さんも居てみなさん大歓迎です。
初めに佐藤秀雄区長より、挨拶と花植えの手順の説明がありました。
行政区内の39ヵ所へ配置するために、今回はパンジー・ビオラの2種の苗 計840株を、
280個のプランターに定植していきます。
この日は小ぶりの雨もあり少し寒い日でしたが、まずはみんなで交流しながら温かいけんちん汁をいただきます。
佐藤秀雄区長からのお話の中では、「町内ではもう帰らないと解体をして、世帯数が減っている行政区が多い中、上ノ原行政区は毎年帰って来ている世帯があり、少しずつではあるが住民が増えてきている。」と話されていました。
美味しいけんちん汁をみんなで食べた後は、花植え作業が進められました。
▲まずはじめにプランターに培養土を敷き詰め同じ種類の花を3株ずつ定植します▼
▲ベテランの方も小さな子も手際よく進み沢山のプランターに入れた花の準備ができました▼
▲水やり後は、プランターをトラックに積載し、行政区内の39ヵ所へ配置▼
▲上ノ原行政区にまた彩りが出てきました▼
▲花植え終了後は女性を中心にお茶で交流。とても楽しそうでした▼
浪江に住んでいる皆さんもいらっしゃった皆さんも、上ノ原行政区のお花を是非ご覧になってみて下さい。
今回も上ノ原行政区の皆さん、取材のご協力ありがとうございました。
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
今年度、道の駅なみえのギャラリーにて高瀬川渓谷の写真展を開催していたことをご存知でしょうか。帰還困難区域のため立入許可をとり、地元町民にご案内いただきながら撮影した写真を、春・夏・秋と展示しました。(冬編の展示は2月中旬を予定しています。)
そして12月4日にはトークイベントも開催。その名も『みんなで語ろう!高瀬川渓谷』。
多くの町民が「浪江の宝だよ」と話す高瀬川渓谷、今は残念ながら帰還困難区域に指定されているため、日々の景色を見ることができません。
写真を観るだけではなく、皆さんの心にある思い出やエピソードを語り合う時間をもつことも大切ではと、地元町民との会話の中でアイディアが生まれ、当日は畑川行政区の4名の方を中心にトークを繰り広げました。
約25名の参加があり、その中には今年浪江に移住した新たな町民も数名いらっしゃいました。あいさつの後は、さっそく渓谷の動画をスクリーンに映し地点ごとに会話をひろげていきます。
まずは落合浪江線の大堀からスタート。神鳴(かんなり)、一の宮、戸山の大滝、戸神山・・など。最後は行司ヶ滝で締めくくりです。
大堀の地点では、「26㎝の鮎を釣ったよ」「鷹の巣橋は釣りの見物の人が多かったな」など、さっそく釣りの話題で盛り上がりました。やはり、釣りのエピソードは多くの方がお持ちのようです。一の宮の地点では「町外県外などのお客さんが来たら、まず一の宮に案内しました」戸神山入り口の動画になると「戸神山は何度も登ったわ!」など、登壇者だけではなく、参加の皆さんも動画を観ながら記憶がよみがえってくるようです。自身と川のエピソードをたくさん話して下さいました。
このトークイベントの告知を開始してから「自分も撮った写真があるから、探してみた」などと3名の町民の方からご連絡をいただきました。
そのなかには、現在は木々が生い茂り見に行けないと聞いていた『白糸の滝』の写真もあり、なんと50年前に撮影したとのこと!
貴重な写真に驚いたと同時に、高瀬川渓谷は半世紀前、さらに以前から町民を魅了し続けていた場所なんだと改めて感じました。
最後に、登壇者や参加者の感想として。
・ドローンで見てみたい。
・自分たちの故郷はいいところなんだと、改めて感じた。
・魚を釣り、山菜をとり生活していた。ここは自分たちの生活の場所。震災前は地元のみんなで手入れし維持していた。今はそれができず、今後の維持が問題。
・町の大切な観光資源。早く除染がすすみ、復活できるように。
今回の写真や動画で初めて高瀬川渓谷を見たという移住者の方もいます。まず“現状を知る”ということで、高瀬川渓谷を身近に感じていただけたのではと思います。
多くの町民が知っている“渓谷と共にある豊かな時間”を思い出し語り合うことで、素晴らしさを改めて実感し、更に“浪江の宝・高瀬川渓谷”の今後を考える、そんな一歩になったのではと思っています。